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森達也『FAKE』(監督舞台挨拶付き)@シネマ・ジャック&ベティ

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パンフレットにサインをしてもらいながらおれはこう言った。

「とってもよかったです。今度は彼女と来ます」

ペンの手を止めて森達也監督が言う。

「今日は下見? 何度見ても面白いと思いますよ」

後ろに並んでいたプロデューサーの橋本佳子さんもこう言う。

「何度見ても新しい発見があると思います」

おれは「ありがとうございました」といってジャック&ベティの階段を降りた。

森達也監督は上映後の舞台挨拶でこう言った。

「Q&Aもないし、ぜったいなにも言いません」と。

たしかに監督は作品の内容についていっさい触れなかった。ただ、自分が映画館というものが好きであるということ、それも、お客さんが入っていないよりも、入っている映画館が好きだということを。

お客さんは、入っていた。入り過ぎるほど入っていった。ジャック&ベティで満席級というのは何度かあったと思うが、この日のこの回の『FAKE』は文字通りの満席だった。支配人と思しき人が、上映前に「最前列にまだ空席があります!」と案内するくらいのものだった。おれはこの映画館では前々に陣取ったほうが見やすいことを知っているので、かなり前々を確保した。前後左右きっちり埋まった。おそらくは満席。

チケットを買い求めたのは昼ごろだった。関内(正確には関外)の会社まで自転車で行き、ジャック&ベティに立ち寄って、舞台挨拶付きの16時35分開始回のチケットを買った。30番台だった。

おれはそれから歩いて野毛の横浜市中央図書館に行き、本を一冊返却し、新書を一冊読み、三冊本を借りた。図書館から出てiPhoneを確認すると、上司から印刷屋からきた入稿データーと発送についての問い合わせ、あるいは指示がLINEで入っていた。おれは時間を持て余していたので会社に戻り、印刷屋にメールを送った。

まだ映画の開始には時間があった。チェーン店のとんかつ屋に入り、味噌カツを食った。店員はほとんどが外国人で、ここまで日本語が拙いのはめずらしいというレベルだった。味噌カツはおいしかったが、量は少なく感じた。

それでもまだ時間が余っていたので、古本屋に入った。入って、スティルネルの『唯一者とその所有』でもないかと思ったが、なかった。かわりに金子光晴語りおろしの『衆妙の門』という本を買った。千円だった。金子光晴のエロ話である。読んでないけど、たぶん。

 

衆妙の門 (1974年)

衆妙の門 (1974年)

 

 そしておれはジャック&ベティに向かったのだった。まだ時間が余っていたので、ひどく遠回りして。

佐村河内守とおれ。おれはあまりテレビは見ないのだけれど、NHKのドキュメンタリでこの人を知った。なぜかたまたま見ていてた。かわいい少女と手を握れてうらやましいな、とかその程度の感想だった。おれには音楽のことがわからぬので、耳が聞こえなくても作曲というものは構築しえるのか、とか思ったかもしれない。少なくとも、おれはそのドキュメンタリを見て、これっぽっちも彼の作曲能力を疑わなかった。それは断言できる。

そして、新垣隆の登場によって、事態は一変する。それについてどうもおれは日記にもブログにも記していないようだが、ともかく世間を騒がせることになった。

おれには聴覚障害を持った知り合いがいる。……面倒くさいのでぶっちゃけてしまえば、付き合っている女の息子さんである。息子さんには難聴があった。息子さんが小さいころ、何度も聴力を検査した。ギリギリのラインで健常者という判断だった。もうほんのちょっと聴力がなければ、障害者と認定されるラインだった。よくわからぬが、一つの違いらしかった。しかし、息子さんは無邪気に、真摯に、自分が聴こえるテスト結果を出した。何十万円もする補聴器をしなければ、日常会話も成り立たないのに、障害者の手帳をもらうことはできなかった。それは非常に大きな負担だったろうと思う。

おれは、佐村河内氏のスキャンダルを知ったとき、まず考えたのはそのことだった。聴こえるのに聴こえないふりをするっていうのはないんじゃあないの。それはアンフェアだろう、と。べつに作曲がゴーストライティングだろうとなんだろうといいけれど、聴力のごまかしばっかりはちょっと許せねえなって。

して、この映画に映し出される佐村河内氏を見てどう思ったか。やはりなんらかの聴覚の障害はあるんじゃないか、と。グレーゾーンである。NHKのドキュメンタリでは頭のなかを轟音が……という説明がなされていたように記憶するが、そうでなくとも、いくらかはある。なんとなく、喋り方にそういうところがある。とはいえ、中途失聴者らしく、無自覚に大きな音を立てないのだな、とかは思った。そのあたりは見て感じるしかない。豆乳をごくごく飲むのも見て感じるしかない。いつもおいしそうなケーキが用意されるのも見て感じるしかない。マンションの近くをいろいろの電車が通る音が気にならないのか感じるしかない(この映画、やけに生活音というか、いろいろの音が大きく感じたのは気のせいだろうか?)。おれの判断は正しいのか、正しくないのか、わかりはしない。ただ、猫はかわいい。これは断言してもいい。

とはいえ、おれの判断でいくと、新垣隆氏の「まったく耳が聴こえないということはなかった」という発言には疑問符がつくことになる。新垣隆氏……妙な問題で妙なポジションを得てしまった人物。おれも「妙に」おもしろいなどと思っていたが、果たしてそれで済ませてよいものかどうか。そう思わずにはいられない。

結局、マスコミに出てきた、露出した、バラエティに迎合した新垣氏がすべて持って行った。そんな見方すらできる。とはいえ、「じゃあ、佐村河内の音楽の能力はどうなの?」ということにもなる。

このあたり、映画に出てくる外国人ジャーナリストがズバズバ突いてくる。「聞きたかったのはそこなんだ」という感じ。通訳、手話通訳を介しても直撃してくる質問の数々。もちろん、日本のジャーナリストでもその辺をついてきた人がいるのかもしれない。だが、あったとしてもおれには届かなかった。

伝わってこなかったといえば、出演者でもある監督自身から佐村河内氏につきつけられる質問である。これは、宣伝文句にも使われている「最後の12分」(ここから「最後の12分ですよ」というテロップがあっても……いや、なくても「これか」と思えたが)のネタバレにもなりかねないし、おれはネタバレを好まないので言えないが、つまりはそれがそうなのか、どうか、ということである。タイトルは『FAKE』。ケーフェイ。お前はなにを信じる? 真っ赤な『FAKE』のパンフレットを前に、そう問いかけられている。完全にすごいところで終わっている。こればっかりは知りたい、でも、知ったからといってそれが真実か? 強烈な宙ぶらりん。あるいは、賢い人、目ざとい人にはなにかがはっきりと見えて、それを指摘できるかもしれない。おれのような愚鈍のものは二度、三度見てようやく気づくことができるなにかがあるかもしれない。しかし、ないかもしれない。いずれにせよ、とんでもない映画かもしれない。監督と編集の人が「これおもしろいのかな?」、「どーすっかねえ?」と言いながら作られただけのことはある。

安易なテレビ批判や世論批判にとどまらないところがある。佐村河内氏とその妻の関係があって、さらに森達也の介入があって、事態は一筋縄でも二筋縄でもいかないところにある。そこに人間の業のようななにかがあって、おれは途方にくれてしまう。途方にくれて、帰りにドン・キホーテに寄ってラムを一瓶買って、それを飲みながらこんな感想を書くしかないのである。「彼女とまた見に来ます」? さて、どうやら……。

 

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……もし見に行くなら、こんなガチな記事読んでからでもいいと思う。