やっぱりマッドだぜ 石黒浩『アンドロイドは人間になれるか』を読む

マッド・サイエンティストという戯画化されがちななにかがあって、現実にはそんな人いないのだろうけれども、いるのだから仕方ないというのが石黒先生だと思う。そういう意味でもうSF好きでもあるおれは石黒先生が好きでしょうがないのだが、考えてみたら著書の一冊も読んでないことに気づいた。

 

アンドロイドは人間になれるか (文春新書)
 

 というわけでこの一冊読んでみた。期待に反さない感じでたいへんよかったと言える。

 僕が作ったロボットで、もっとも「気持ち悪い」と言われるのは、「テレノイド」である。こんな気持ち悪いものを作り、高齢者に抱かせて実験しようなどと考えた人間は、僕のほかにはいないだろう。

とか最高である。「気持ち悪い」って自覚してたんやー、すてきー。という具合(どんな具合かはGoogle画像検索でもしてください)。 

だから僕はテレノイドのプロジェクトを、なかば暴力的に進めた。他人に説明したところで、僕が検証したい仮説を理解してもらえないだろうと踏んでいたからである。関係する会社や研究室のスタッフを集め、「これから作るロボットに関しては、質問してはいけない。僕が言ったとおりに役割分担して作ってほしい。質問も意見も許さない。それでもやろうという人だけ残ってくれ」とはじめに言った。でも、誰も帰らなかった。

かっけー。でもって、仮説とはなにかというと、人間がなにかを認識するのに必要な要素、「モダリティ」という。これが最低ふたつ結びつけば、人間は強く反応するという。テレノイドはその最低限のふたつに絞ったというわけだ。そして、あえてああいう顔にすることによって、想像の余地をつくり、親しみを与えやすくしたという。すげえ。そんでもって、実験によってもいろいろ実証されているのだから更にすげえ。

「これからどういう未来が来るのか」と問われれば、僕は「自分がどういう未来を作りたいか」を語ることにしている。未来は勝手にやってこない。

しびれるじゃあないの。なあ。

でもって、ロボット販売員がデパートで人間以上の実績を挙げていることや、テレノイド相手に必要以上に秘密を喋ってしまう「エシカルジレンマ」(銀行口座の暗証番号を機械相手なら言ってしまう、とか)があるとか、マツコロイドのこととか、興味深い話に満ちている。おれがわりと前から気にしている義足のランナーについてだってこうだ。

 僕はどうせなら、あらゆる身体改造をOKにしたうえで競った方が、とんでもなく速いやつが出てきておもしろいのではないかと思う。

F1についてもこうだ。

どうせ競うのであれば、徹底してやればいい。ジェットエンジンを積み、それに耐えられるように人間の身体も改造してしまえばいいのだ。技術を制約するのではなく、オープンにしたその先の世界を探求してみた方がいい。

その先の世界。ある分野の名人のモーションを完全にコピーしたロボットが後世にその技を伝える世界。ご先祖様が墓石などでなく、アンドロイドとして存在し続けて、子孫に語る世界。あるカリスマが死してもなお存在し続ける世界……。絵空事ではない。

そして見えてくるのが「人間とはなにか」というところだ。人に似たものを作ることで、人とはなにかが見えてくる。無論、身体機能に限らない。むしろ、心が見えてくるかもしれない。心とされている機能が見えてくるかもしれない。

ロボットは「人間を理解したい」という根源的欲求を満たす媒体なのだ。

まあ、いずれにせよ、石黒ファン必読の一冊。ファンじゃなくても、ちょっと先の未来を見たいなら、ぜひ。

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