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澁澤龍彦『太陽王と月の王』を読む

 

太陽王と月の王 (河出文庫)

太陽王と月の王 (河出文庫)

 

おれの思春期に大きな影響を与えた作家というのは何人かいるが、澁澤龍彦はそのうちの一人である。父親の本棚に『毒薬の手帖』かなにかがあって、ふと手にとって魅了されたのだ。そして、小遣いで河出文庫のものを次々に買っていった。さすがにハードカバーで集めようとかは思わない、けなげな少年であった。ただ、『高丘親王航海記』だけはハードカバーで買った。

して、文庫本であらかた読んでしまったし、翻訳やなにかを除けばおおよその澁澤はチェックしたぜ、という気になっていたわけだ。わけなんだが、ふと図書館で本書なんかを手にとってみれば、読んだ記憶がまったくない。おれが本を買えるような境遇でなくなったあとも、河出は文庫版を出し続けていたのだ。そうだったのか、という。

本書のタイトルからは、だいたい「バヴァリアの狂王の話だろ」と思うだろうが、収録されたエッセイ一編からのタイトルである。あとがきなんかでも著者本人が書いているが、澁澤さんは本のタイトルが全部かっこいい。そこんところにこだわりがあるのだろう。スタイルだ。澁澤龍彦にはスタイルがある。文章にもスタイルがある。それがどのくらいすごいことか、おれに説明できるはずもないのだけれど。

そういえば、おれが熱心に澁澤を読む厨二病少年であったころ、父が言ったものだった。「澁澤龍彦の文章力は文学史の中で五本の指には入るだろう」と。どれだけ上から目線なのか、と今から考えれば思うのだが、当時は「へえ、すげえや」と思った。こと文章に関しては、おれは父親の筆力や審美眼について信頼を置いていた。たかが元週刊誌、サブカルチャー誌の編集者にすぎなかったとはいえ、だ。

というわけで、今回ひさびさに澁澤節に触れて、「なんだ、やっぱりかっけえよな」と思った次第。

 若き日のアンドレ・ジードに向ってワイルドはこう言っている。「私はきみの唇が面白くない。まるで一度も嘘をついたことのないひとの唇のように真直だ。嘘をつくことを教えたいものだ。きみの唇が古代の仮面のように美しくゆがむように。」

 こういう言葉は、或る種の若者にとっては殺し文句になる。私にとっても、それは甘美な毒薬のように作用した。しかし、それがいい加減なレトリックだとは決して思わなかった。

「嘘の真実」

これなあ、こういうあたりで自分の知らないジード(ジイド)とかスラっと出してくる。こっちはそんな西洋の作家のことなんか知らんが、なんかすげえってなる。ジイド程度でもそう思った。だから、澁澤が横のものを縦にしているだけ、とか言われようともなんでもよかったのだ。

 芸術もそうであるが、科学技術上の発明や発見もまた、最初はほとんどつねに、無益無用なものを求める人類の好奇心から出発したのだ、ということを私は最後に強調しておきたいと思う。

「知られざる発明家たち」

レオナルド・ダ・ヴィンチ以前の、レオナルドが大いに参考にしたであろう発明家たちの話。コンラット・キーザー、イル・タッコラ、フランチェスコ・ディ・ジョルジオ。今ならネットで検索すれば出てくる。しかし、おれが読んでいたころはそんなものなかったか、黎明期で情報なんてほとんどなかった。ましてや、本書が書かれた時代においてをや。つーか、だからこそいい加減な翻訳やら紹介やらがある、なんていう批判もあるだろうが、はっきりいってそんなのは澁澤御大には関係ない、おれはそう思う。単なるファン心理として!

 私の住んでいる鎌倉にも、現在では弘文堂、新生書房、中山書店と三軒ほどしか残っていないが、かつては十軒近くも古本屋があったのである。

 海岸を走る江の電は腰越から曲がっているが、その曲がった線路に面した腰越の商店街に、昭和二十一年ごろ、 私の気に入りの古本屋があって、私はここでプルーストの『スワン家の方』(五来達訳、三笠書房、昭和九年)を買った。この本は、今でも所持している。

「古本屋の話」

それでもって、鎌倉の人でもあった。おれは腰越小学校に通っていたが、そんな古本屋はもうなかったと思う。岡田書店はあったが、今でもあるのだろうか。

 大宮工機部は鉄道の重要施設だったから、よく敵機にねらわれた。艦載機がたびたび飛んできて、私たちは機銃掃射を受けた。空襲警報のサイレンが聞こえると、私たちは仕事を中断して、それっとばかりに防空壕に逃げこむのである。防空壕から見あげる青空には、飛行機雲をひいたB29が小さく銀色に浮かんでいた。あの青空は、いまでも私の心に焼きついている。どういうわけか、戦争末期の青空はじつに美しかったような気がするのだ。

「機関車と青空」

澁澤さんのエッセイには遠い昔のものもあれば、自らの幼少期や青年期の話もある。これは後者であろう。拳銃を埋めて隠した話とかもあったっけな。「戦争末期の青空はじつに美しかったような気がするのだ」とくると、なにかこうイメージが膨らんでいく。超然としていて、やはり美しく……。

 突拍子もない意見のように思われるかもしれないが、私の夢想をいうならば、明治以降の一世一元制でなく、何か社会的事件のあるたびに、元号はどんどん変えたほうがおもしろいのではないかと思う。そうすれば、天皇制も自然にふっ切れるであろう。

「今月の日本 元号について」

これは最近話題になっている話にちょっと関わってくるだろうか。とはいえ、わりとナイーヴな話について「おもしろいのではないかと思う」と書ききってしまうあたりがかっこいい。この「今月の日本」という連載の「元号について」では、最後にこんなことを書いている。

 ともあれ、私は歌にあるように「昭和の子供」として生まれたのだが、はたして死ぬ時は、どんな元号のもとに死ぬことになるのだろうか。たぶん、苦々しい気持ちとともに、新しい元号を受け入れて死ぬことになるであろう。新しいものに、ろくなものはないのだ。

「今月の日本 元号について」

澁澤龍彦は昭和の子として生まれ、昭和の人として死んだ。昭和天皇は澁澤が予想するよりちょっと長生きした。というよりかは、澁澤が病気になって、早く死にすぎたのだ。とはいえ、おれも後半とはいえ「昭和の子」として平成になじめないままである。このままおれがどんな新しい元号の時代に生きるかしらないが、「新しいものに、ろくなものはないのだ」という気持ちは持っているような気がする。おれにとっての天皇とは昭和天皇であり、その微妙な心もちはうまく説明できないし、する気もない。

 正直にいって、私は「社会とのつながり」とか「社会的視野」とかいうことの意味がよく分からない。それを求めるひとの気持ちが分からない。戦時中アメリカに亡命したトーマス・マンは「私のいるところにドイツがある」といったが、私もそれにならって「私のいるところに社会がある」といいたい気持である。たとえ妻とと二人きりで家に閉じこもっていようと、私のいるところに社会がないなんて、いったい誰がいえるであろうか。

「今月の日本 専業について」

 そしてこの引きこもりっぷりがたまらない。と、そのわりには交友関係も広く、よく歩き(鎌倉から逗子まで)、なんだかんだいいながらよく旅をする。カッパ・ブックスには執筆業の愚痴も書く、そのあたりのギャップもたまらん。たまらん、たまらん、ともう盲目的なファンとというか信者みたいなものであるが、そうなのだから仕方がない。そんな話である。

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d.hatena.ne.jp

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フローラ逍遥

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 これも美しい本だ。