加藤典洋×高橋源一郎『吉本隆明がぼくたちに遺したもの』を読む

 

 どんな思想も、どんな行動も、ふつうは、その「正面」しか見ることができない。それを見ながら、ぼくたちは、ふと、「立派そうなことをいっているが、実際はどんな人間なんだろう」とか「ほんとうは、ぼくたちのことなんか歯牙にもかけてないんじゃないか」と疑うのである。

 けれども、吉本さんは、「正面」だけではなく、その思想の「後ろ姿」も見せることができた。彼の思想やことばや行動が、彼の、どんな暮らし、どんな生き方、どんな性格、どんな個人的な来歴や規律からやって来るのか、想像できるような気がした。どんな思想家も、結局はぼくたちの背後からけしかけるだけなのに、吉本さんだけは、ぼくたちの前で、ぼくたちに背中を見せ、ぼくたちの楯になろうとしているかのようだった。

高橋源一郎吉本隆明のことば」

吉本隆明没後の吉本隆明本である。おれは加藤典洋さんはよく知らないが、高橋源一郎はベリ・ベリ好きな作家であって、ひとつ手にとってみた。とはいえ、おれの父親が「試行」をずっと購読していたとか、たぶん吉本隆明の本はすべてそろえているからといって、おれは吉本隆明についてそれほど多くはしらない。親鸞の話などにはなんとかついていけなくもないようなところはあるが、「こりゃあ難しくてだめだな」というラインもある。

……(高橋) 加藤さんは吉本さんの思考を先端と始原のニ方向性として捉えようとしています。吉本さんの二つの方向性での捉え方は、自己表出と指示表出という方向にもいってるし、内臓的神経と感覚的神経の、人間の分裂みたいな方向にもいってる。その分裂は生物として人間がもつ原生的疎外――すごく簡単にいうと、「何か変だな」とか、「生物というのは何か変だな」という感じですね。

 

加藤 何か「浮かない感じ」と吉本さんは書いている。

 

高橋 そうそう、その「浮かない感じ」と言っているときの、腑というのは内蔵のことですからね、内臓からくる。

 

加藤 原生的疎外。

 

高橋 そう、あそこで吉本さんは原生的疎外のことを言っているんだと思いました。基調にあるのは、人間というか生物としての原生的疎外というものがあって、それは戦争という局面だろうがどんな局面だろうが出てきて、腑に落ちないというところに戻らざるをえない。

フムン。ううう。原生生物が「何か変だな」と思う(?)ところから われわれの腑に落ちない感じが始まっているというのか。なんだろうな、わかるような、わからんような。ただ、おれは心を患ってみて、脳に効く薬を飲んでみて、その効果とともに、内臓がしっくりきてないぜ、腑に落ちないぜ、というところも逆に浮き彫りになった、そういう感覚はある。

腸だけで感じてる - 関内関外日記

この程度の話が「原生的疎外」に通じるとは思わないし、腸の方もセロトニンの分泌どうこうで説明できてしまうのかもしれないが……。三木成夫とか読んでみようかな。

さて、この本、吉本没後、そして3.11後の本でもある。晩年の吉本隆明発言で弟子や信者たちを困らせたのはオウム真理教への言及(おれはこれ、基本的にそんなに問題でないことを言ってたと思うけど、行き過ぎだろというところ混じってると思う)と、原発支持だろう。このあたりについても、この二人なりの解釈をしていて興味深い。

おれに吉本隆明がわかるとは思えないが(なにせ『言語美』とかなんとかイメージ論とかの主著から逃げている)、しかしまあ「吉本さん」ってのはなんかすげえなってのはあって、機会があればもっとあたってみたいとは思うのであった。おしまい。

 

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