吉本隆明『心とは何か 心的現象論入門』を読む

 

心とは何か―心的現象論入門

心とは何か―心的現象論入門

 

「心とは何か」。假定された有機交流電燈のひとつの青い照明です、というわけにはいかないだろう。おれにはおれの心がある。あんたにもあんたの心があるだろう。哲学的ゾンビではないだろう。いつでも山田はゾンビではないだろう。心とは何か。

本書はこれについてバシーンと答えを出してくれるものではない。なにせ入門である。

 

 

 

心的現象論本論

心的現象論本論

 

 このあとに序説と本論がひかえている。率直に言って、おれがなんとか読めるのはこの「お喋り」のまとめくらいではないかと思っている。おれにはむつかしいことがわからないのだ。

そういう観点に立ちますと、全部、ルソーとか三島さんであろうと小児分裂病の娘さんであろうと、同じ意味に扱うことができると思います。全部、生活自体の振舞いの表現において芸術を描いているんだ。ことさらそれを言葉にするとかしないかということは、あまり関わりないんで、全部生活自体において芸術を描いているんだという観点に立ちますと、同等に扱える場所が得られるとおもいます。そういう扱い方をしたほうがいい気がするところがあります。

 つまり実存的あるいは存在的に人間をみるばあいには、別に職業が何だったとか、専門がなんだったとかは、二次的な関わりで、やっぱり生活自体においてだれもが何かを表現しているんだという考え方をしたほうがいい。もっと極端にいえば、だれもが生活それ自体の振舞い方で芸術を描いている。あるいは物語を描いているんだという考え方の方がいい気がします。

「異常の分散」p.55

ルソーさん、三島由紀夫さん、そして統合失調症の少女にしても、みな芸術を描いているという。そこで、あるものを超えたり超えなかったりするんだ、という。そこで超える、「母親の物語」となるとなんであるか。そのあたりはピンとこないというのが率直だし、(おれには理解できないだろうが)エビデンス出せということになるような気もする。

 そうしますと、それで何がいえるのか。とても大雑把な云い方をしますと、人間のこの世界の正常さと異常さ、それから病気というものがありうるとして、便宜上そういう分け方をしますと、人間の心の異常さとか病気とかいうものは、その人の身体器官の問題でいえば、その人の植物性の神経器官あるいは内臓器官の神経的な作用と、それから感覚器官の神経的作用のあいだに、何らかの意味でずれがあったり、わだかまりがあったり、それからこの場合は並行関係ですけど、並行関係があったりというのは、その両者の境目のところで、何らかの意味の正常でない要素が起こったりあったりすれば、それは心の異常とか心の病気とかの一つの大雑把な根拠になりうるんじゃないかとおもいわれるのです。

「言葉以前の心について」p.99

このあたりは三木成夫からの影響がある部分であろう。この内臓器官と植物器官を「自己表出」と「指示表出」に関連付ける。動物性、内臓の動き→自己表出、感覚器官の反応→指示表出。そして、言葉とは人間の自然な呼吸を意図して妨げることになって生み出されたということ。うむ、ようわからんが。

 三木成夫について。

 わたし自身は仕事のうえで、この著者から具体的な恩恵をうけました。わたしはわたしたちがふつう何気なく<こころ>と呼んでいるものがなにを意味するのか、そしてその働きはどんな身体生理の働きとかかわっているのか、またわたくしたちが感覚作用とか知覚と呼んでいるものとどこがちがうのか、ながいあいだ確かな考えをつくりあげられずにいました。そのくせ内部世界とか内面性とかいう言葉で、漠然と文学の表現と<こころ>の働きのある部分をかかわらせてきたわけですが、だが<こころ>という働きとその表出、また感覚のはたらきとその表出のかかわりと区別がどうしてもはっきりしませんでした。

 こんなときこの著者ははっきりと決定的な明示をあたえてくれました。この著者は内臓の発生と機能と動きを腸管系の植物神経に、感覚の作用を体壁系の動物神経に、はっきりと分けてむすびつけています。そして肺の呼吸作用が体壁系の筋肉や神経作用にむすびついている側面をもつこと、また腸管系の入口である口腔と出口である肛門の両端は、体壁系の感覚にむすびついて脳の働きに依存しているが、その両端を除くと脳とのむすびつきはぼやけてしまい、ただ肉体の奥のほうで厚ぼったく、ずっしりとした無明の情感や情念のうごきにかかわってることがわかります。この指摘と洞察は、とりわけわたしには目から鱗がおちる気分でした。つまりわたしははじめて、長いあいだもやもや膜を隔てているようだった<こころ>とその働きがわかったと思えたのです。

「三木成夫について」p.132

そういうことらしい。「心」とは……解剖学的に、三木成夫の解剖学的にそういうものらしい。正確なところは知らぬ。今や、脳内の活動をマーキングしてどうこうの時代だ。とはいえ、鬱病のなんたら検査で客観的に調べられるかな、というていどのことで、たとえばおれの双極性障害にしたってまだまだわからないことの方が多い。双極性障害(ないし統合失調症)に効く薬が効いているから双極性障害なのである。いつか人間は完全に客観的に脳という臓器を暴くことができるのか。それとも、植物神経と動物神経のような分類とのかかわりから、全身にそれが及ぶものなのか。心とは何か。なんだろうね、まったく。序説、本論に進むか、進まぬか、今はわからない。

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