読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ネットが証明したのも結局はカネが全てだという事実だけだった

f:id:goldhead:20161014212935j:plain

インターネットが普及してどれだけ経つのかわからないが、結局のところそれが証明したのはカネだけがすべてという事実にすぎなかった。

カネを稼げるやつがカネを稼いでそれが賞賛され、さらにカネを稼ぎ、そうでないものは何者でもないということだけだった。この世はカネだけがすべてであり、カネを稼げるものだけがすばらしいすべてを手に入れ、そうでないもの、そうありたいと望みながらも能力のないものは、結局のところゴミクズにすぎないということがあらわになるだけだった。

インターネットというものが新しいなにか、新しい価値観をこの世に出現させる可能性があるのかもしれないと思わせていた時期もあったが、すべてはカネであるという厳然たる事実だけがすべてだった。

実にくだらないとうそぶいてみてたところで、おれはカネをインターネット外でもインターネット内でも稼げないのは事実であって、それ以上でもそれ以下でもないのだった。才能のあるものはインターネットの仕組みを巧みにあやつり、月に数十万、数百万稼ぎ、そうでないものはまるで価値がないのであった。また、あるものはインターネットの外へセルアウトしていって、そこでカネを稼ぐのであった。いずれにせよ、カネを稼ぐ才能のないものはひたすらに自殺に向って歩んでいくのみであって、カネを稼ぐ才能のあるものだけがこの世に存在を許されるのであった。

おれのようなカネを稼ぐ能力に決定的に欠けるものは、ぶら下がり健康器が首吊りに適しているという知見だけを胸に、それを買うカネだけは最後に残しておこうと思うばかりなのであった。カネを稼げないものはこの世においてまったくの無価値であって、適宜自殺するよりほかに考えるべきことはないのであった。この世において算数のできないもの、プログラミングのできないものは、それぞれに適切に自殺する時期を考えるほかないのであった。

もはや富めるものを止めるすべはないのであった。それがどんなに下らなく、つまらなく、価値の無いように思えても、本当に価値のないのはおれのようなものであって、死ぬべきなのはおれのようなものにすぎないのであった。カネを稼ぐべき人間はすでに選ばれていて、死ぬべきものもすでに選別が終わっているのであった。おれのようなものはまったく後者であって、路上に生きる覚悟もなければ刑務所に行く勇気もなく、自死を選ぶよりほかないのであった。

インターネットの世界は、ひょっとしたらカネ以外の価値を示せる可能性があったかもしれなかったが、結局のところ多くのカネを稼いだものだけが価値あるものであって、それ以外はゴミクズなのであった。ゴミクズは生まれたときからゴミクズと決まっていて、そう感じられないものはなにかの欠陥品にすぎないのであった。欠陥のうえに欠陥を重ねた、生きるべき価値がそうとうに無い人間にすぎないのであった。そういった人間は、最後のカネをつかってぶら下がり健康器を買うほかないのであった。この世は実に明解であって、迷うことなどないのであった。結局のところ、カネを稼げる人間だけが全てであって、それ以外の人間は生きる必要などないのであった。それ以外の人間はその血統を残す必要はないし、残してしまったらそれこそ不幸を再生産するばかりであって、残す必要などまるでないのであった。

カネを稼げる人間だけがすべてであって、それのみで人類は構成されるべきであって、いくら世の中に変化があるように見えても、結局のところそれがすべてなのであった。日本という国がいくらか人口のボーナスがあって右肩上がりのときは、それ以外の人間も生きることが許されたのかもしれないが、今後はそのようなことはないのであった。それはネットの世界を見ても明らかであって、ネット以外の世界を見ても明らかなのであった。べつにそれらに区別など存在しないのであった。カネを稼げる人間のみが偉く、生きるに値いするのであって、それ以外の人間は死ぬべきであって、いかに死ぬべきかその具体的な、実に具体的な方法を考える以外にするべきことなどないのであった。

生き残るべきは、生き残れるのは優秀、すなわち適応できる種類のみであって、それ以外は絶滅を黙って受け入れる以外ないのであった。同じような人間の顔をしているからといって、その価値はまったく異なるのであった。まったく別の存在が、ネットの世界に、現実の世界に、同じような顔をして、何事か言ったりしているが、その差は、差というべきものではなく、質が違うのであった。死すべきものはぶら下がり健康器を早く買うべきであって、それ以外のものの負担を軽くするのが徳というものかもしれないのであった。

ネットはすべてを透明にして、カネを稼げるものはその稼ぎをこの天下に明らかにして、そうでないものは石ころの裏側にへばりついて、死ぬのを待つだけであった。カネを稼げるものだけが価値があり、そうでないものは早い死を選ぶだけであって、それ以外の真理は存在しないのであった。カネがすべてであって、それを得られる環境にあったもの、それを得る才能があるものだけが生きるべきであって、それ以外のものは、何事も恨むことなく、妬むことなく、すべてを許して死ぬしかないのであった。寛容の精神でもって死を、できるだけ早い死を選ぶよりほかないのであった。

山善(YAMAZEN) ぶらさがり健康器 BBK-220(DBR)