現代の義賊か? 鈴木大介『老人喰い―高齢者を狙う詐欺の正体』を読む

 大きな誤解を解いておきたい。高齢者を狙う犯罪とは、高齢者が弱者だから、そこにつけ込むというものではない。圧倒的経済的弱者である若者たちが、圧倒的経済的強者である高齢者に向ける反逆の刃なのだ。

 この一文についてこれる人とついてこれない人がいると思う。おれはついていける。義賊とまではいかないが、有り余る富を蓄えて安泰の老後を送っている人間から、老後どころか明日をもしれない人間が金を奪ってなにが悪い。富の再配分ではないか、とすら思う。おれは「老人喰い」のメンタリティを備えている。
 が、備えていないのは老人喰いをする「若者たち」が持つ圧倒的な上昇志向、そしてその志向のために払う努力というものである。本書に紹介されている詐欺師(という言い方は古いし的を射ていないような気もする)たちの、体育会的な部分、ぬるくない部分というものには、正直ついていけない。本を読んでついていけないのだから、実際の詐欺グループ研修の現場に放り込まれたら、一番先に脱落してしまうであろう。何千万円のプレイヤーの世界を目指す、その能力ややる気におれはまったく縁がない。だからこんな底辺の暮らしをしている。人格形成セミナーを手本としたという詐欺グループの研修で「毎日お好み焼きしか食えない人間になりたいか」と実例として挙げられるような暮らしをしている。おれは老人にとっては無害だし、意識の高い「老人喰い」のプレイヤーからすれば「なんで生きてるの?」と蔑まされるというか、眼中にない人間なのだ。

 彼らがとてつもなく優秀で、とてつもなくモチベーションが高くて、その現場には彼らを「そのように育て上げる」システムがあり、加えて彼らには「老人喰いに情熱を注ぐ理由」があったからだ。

 うむ、そうなのだろう。その「彼ら」は、与えられた時代や立場が違えば、資本主義社会の真っ当なプレイヤーとして真っ当な報酬を手にすることができたのであろう。おそらくそうだろう。だが、希望格差社会だかなんだかしらぬが、この現代において「彼ら」……真っ当な出世街道から外れながらも、マイルドヤンキーなどのぬるさをも嫌う……の行く先は、たとえばこの「老人喰い」の世界なのである。おそろしい、おそろしい。
 して、「え、オレオレ詐欺なんてとっくに世間の常識になってるでしょ?」と思う人もいるかもしれない。本書を読めばそれは甘い考えだと気づくだろう。標的の名簿はより洗練され、手口は強化され、プレイヤーたちのモチベーションも能力も高い。これにはかなわんな、というところがある。さらに面白い、といってはなんだが、興味深いのは、被害者が「これは詐欺だ」と感づいても、自分の家族の事細かな情報を握られている(基本的な個人情報から親類関係、勤め先の上司の名前まで……)ことに恐怖をいだき、報復の暴力を恐れて金を出してしまうというケースもあるというのだ(もっとも、徹底的に合理化、分社化している詐欺グループはそんな足のつくようなリスクは負わないらしいが)。いやはや。
 もっとも、おれやその家族にとって安心できるのは、標的にされる価値もない。すなわち搾取しようにも取るべき金がないという点に尽きる。そしておれは、金持ちの老人からはいくらでも取ってやれ、おれの関係ないところでばんばんやってくれ、と不道徳なことを考えるばかりなのである。おれのようなものを人間のカスという。
 ところで、本書の著者は鈴木大介という。おれにとって鈴木大介というと「早指しの?」ということになが、同姓同名なだけである。あと、さっき書いた『潜入ルポ ヤクザの修羅場』の鈴木さんと同一人物だと勘違いしていたことをメモしておく。