上原善広『異形の日本人』を読む

異形の日本人 (新潮新書)

異形の日本人 (新潮新書)

 上原善広といえば路地(被差別部落)ものということになる……のかどうかよくわからなかったので、とりあえず『異形の日本人』を手にとってみた。とはいえ、タイトルからも感じられるように、通底するものは同じだった。そして、やはり上原善広はすばらしい書き手だった。
 ここに収められたのは、昭和初期の「ターザン姉妹」、平田弘史の『血だるま剣法』事件(これには路地が関わっている)、「溝口のやり―最後の無頼派アスリート」、筋萎縮症女性のわいせつ事件、「花電車」のストリッパー、そして落語家初代桂春團治(これも路地が関わってくる。あとちょっと阪田三吉)。いずれも丁寧でいて力強く、読ませる文章だ。
 が、一番なにがいいかというと「溝口のやり」。これである。採り上げられるのは溝口和洋というやり投げ選手。正直言って、おれは名前を聞いたことすらなかった。経歴や記録はWikipediaでも見ればいい。

 「投げるときリラックスなんかせえへんよ。そんなんしたら投げられへんやんけ」
 そう語る男の言葉はそのまま、彼の生き方をも現していた。
 恐ろしく無愛想で口下手。すべてを一言でいい表してしまう。そのため、全盛期においてもマスコミ、陸上界から忌避され、そして誤解され続けた。

 異形のアスリート、とでも言えばいいのだろうか。異常な練習量、独自の理論、そして無愛想で口下手。その練習量の逸話からは木村政彦を思い浮かべるし、孤高の人というところからは榎本喜八を思い浮かべる。その両人を描いたノンフィクションを思い浮かべる。新書の中の一章だが、それらに勝るとも劣らない鮮烈な印象を残す。それは溝口和洋という人の凄さとともに、上原善広の凄さでもあろう。
 溝口というアスリートは……本書を読んでくれ。ただ、引き出された言葉にはなんともいえぬ重みと、妙な軽さが同居している。

 「わしはプロのつもりでやってきた」
 そう私に言っていた溝口だが、周囲には「わしはアマチュアや」とも言っていた。
 「それはな、プロはどっちかというと、細く長くやらなあかんやろ。わしは違う。あとはどうなってもいいから、一瞬でも世界の頂点いきたいだけなんや、そういう意味ではアマチュア

 あるいは、この種の競技につきまとうドーピング。

 あるとき、私は溝口に「ドーピング(禁止薬物投与)をしていましたか」と訊ねた。
 「ドーピングかそれだけはせえへんかったな」

 「と訊ねた」じゃねえだろ、という直球が凄い。

 「確かに外人はみんなしてた。今も活躍しとる有名な奴も当然やっとった。せやけど、俺はいつも独りやったろ。あれは普通、たいていコーチとかが仕入れてくるんや。コーチのおらん俺は、手に入らんかった。手に入っていたら、やってたやろな」

 そして、こう答える溝口の率直さも凄い。

……薬を使う奴の気持ちはわかるから、そいつらを非難しようとは思わんかった。俺はよう、多分、その過程を大事にしたかったんや。ここまで死ぬほどの練習をしてきたのに、『溝口はドーピングをしてたから強いんや』とは、思われたくなかった」

 この矜持である。

リラックスなんかせえへんよ。
リラックスなんかしたら投げられへんやんけ。
わし、力いっぱい、投げるだけなんや。

 して、無愛想で口下手な溝口は、肩を壊して陸上競技者をやめる。やめたあとに、コーチの道にはいかない。パチスロで生計を立てる。アスリートの訓練で培った神経が役に立ったという。ほんまかいな、という話である。とはいえ、その後、室伏広治のコーチになったりもして……。

 今はトルコギキョウの栽培などしているようだ。いやはや。

 と、『異形の日本人』の話だったっけ。まあいい、読めばいい。上原にとっての「忘れ去られた日本人」たちの話である。正直、読ませる。以上!

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木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

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……これは何度紹介しようとも、ともかく紹介したくなる名著。

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……榎本喜八野球殿堂入りしたそうで。