ロバート・フォーチュン『幕末日本探訪記』を読む

幕末日本探訪記 (講談社学術文庫)

幕末日本探訪記 (講談社学術文庫)

 副題に「江戸と北京」とあるが、ほとんど江戸の話である。というか、ロバート・フォーチュンである。

 ひょっとすると、今の英国人が紅茶をたしなむのも、聖グロリアーナ学園の面々(ダージリンだけだっけ?)が紅茶をたしなむのも、このフォーチュンによるところが大きいかもしれない。
 が、おれの興味は日本におけるフォーチュンであって、チャノキの話はどうでもよろしい。そして、そのなかでも日本の植物に関することがおれの目的であって、主に次のいくつかの点をメモしておこう。

 馬で郊外の小ぢんまりとした住居や農家や小屋の傍らを通り過ぎると、家の前に日本人好みの草花を少しばかり植え込んだ小庭をつくっている。日本人のいちじるしい特色は、下層階級でもみな生来の花好きであるということだ。気晴らしにしじゅう好きな植物を少し育てて、無上の楽しみにしている。もしも花を愛する国民性が、人間の文化生活の高さを証明するものとすれば、日本の低い層の人びとは、イギリスの同じ階級の人達に較べると、ずっと優って見える。

 これはよく引用される文章である。日本の文化の高さ……とはいえ、下層の人びとを較べた場合の話ではある。これは、ワンカップ大関の空き瓶に花をいける現在にも通用することであろうか。

染井村の壮観
 交互に樹々や庭、格好よく刈り込んだ生垣がつづいている、公園のような景色に来たとき、随行の役人が染井村にやっと着いた、と報せた。そこの村全体が多くの苗木園で網羅され、それらを連絡する一直線の道が、一マイル以上もつづいている。私は世界のどこへ言っても、こんなに大規模に、売物の植物を栽培しているのを見たことがない。

 染井村といえばサクラの代名詞でもあるソメイヨシノの出どころとされている地である。フォーチュンが世界のどこまでを知っているかしらないが、大英帝国と中国を知っている以上、正直に受け取ればそれくらいの規模だったのかもしれない。農作物を作っているわけでもない、園芸のための圃場。なかなかすごかろう。

 染井や団子坂の苗木園のいちじるしい特色は、多彩な葉をもつ観葉植物が豊富にあることだ。ヨーロッパ人の趣味が、変わり色の観葉植物と呼ばれる、自然の珍し斑入りの葉を持つ植物を賞賛し、興味を持つようになったのは、つい数年来のことである。これに反して、私の知る限りでは、日本では千年も前から、この趣味を育ててきたということだ。

……ところが、イギリスでは、前述のように、斑入りの種類は、わずかにアオキだけしかない。それがここには、さらに斑入りのラン! 斑入りのシュロ! 斑入りのツバキ! そしてチャの木であせも、まさしくこの「楽しき一族」を象徴している。「アジアで最上の針葉樹の一つ」を確信する美しいマキも、葉に金色のたてじまの入った変種が栽培されていた。

 日本という長いこと鎖国されていた異文化の国に来て「!」を連発するのが斑入り葉というところにフォーチュンのプラントハンターとしての凄みがある。切腹や芸者よりも斑入り葉なのだ。とくにアオキに関しては、イギリスに雌木しか伝来していなかったから、雄木の入手に熱心だったりする。「え、アオキが?」と思うが、当時のイギリスにとってはそうなのだ。大気汚染に強く、寒さにも耐えるアオキは重要な植物だったのだ。しかし、テラリウムじゃないと観葉植物が枯れてしまうほどの文明の汚染ときたら、いやはや。
 とまあ、ほかにもさまざまな植物の記録があるが、代表的なのはこんなところだろうか。日本におけるフォーチュンのプラントハンティングは、野を越え山を分け入りというわけではなく(政治的事情からそういうわけにもいかなかったけれど)、すでに異常なほど完成された江戸の園芸世界のネットワークへのアクセスという形(まあ、植木屋に行くとかそんなんだけれど)で行われた。そのあたりも手練れという感じがする。それによって、奇品を愛好する連中(連)に出会ったかどうか、盆栽の妙味なんて書いたりしている。当時の日本の園芸文化はマニアックにマニアックを重ねた、異常なところまで来ていたといっていい。
 して、フォーチュンが見た日本の植物ではなく、日本はどうだったのだろうか。このあたりはクールだ。わりと日本文化を尊重してんなという感じも受けるが、まあ世界を見てきた人間、体験してきた人間の感想が率直に綴られている、という印象がある。その上で、やっぱりちょっと日本びいきかな、というところもある。日本びいきというか、それぞれの民族にはそれぞれの歴史と文化があるよね、という見方だ。これはなかなかに当時としては珍しい……かどうかしらんが、そういうあたりだ。

……驚いたことには、墓地の区域は、数エーカーもある広さで、明らかに古色蒼然としていた。広い歩道が直角に交差し、ネズ、イトスギ、マツなどが道端に亭々と林立して、墓地に陰影を落としていた。ここには多分、ニ、三百年前の時代にあった文明と趣味の遺跡が見られた。ヨーロッパの人々が、死者を人家の密集した墓地に押し込めて、大気を汚しているとき、われわれが半文明人に過ぎないと思っていたシナ人が、閑静な田舎に気持のよい墓地を設けて、樹木や花を植えていた。こうして、われわれがやっと近年手をつけたことを、シナ人は何代も前から行っていたのである。

 これは中国での話だが、母国にたいしてわりとフラットな蔑視、蔑視とはいかないにせよ、その遅れを指摘したりしている。このあたり、ロバート・フォーチュンが高い階級の出ではない(庭仕事師からエジンバラの園丁になった)あたりからくるものではないかな、などと想像するが、想像の域を出ない。
 いずれにせよ、これはわりと面白い本である。唐突な結末だが、そう言っておく。攘夷派が西洋人をぶった斬った話も出てくれば、肉屋で猿肉を売ってた(しかも買ったことがあると告白している)なんて話も出てくる。おれのような鎌倉―横浜人にとっては、馴染みの地名も出てくる。そんな本である。

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逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

……この本にフォーチュン出てきたっけ? 忘れた。