どこか素っ頓狂、そして必見 映画『ヤクザと憲法』

 横浜市中央図書館とシネマ・ジャック&ベティの徒歩での距離をはかりかねていたため、1時間早く着いてしまった。とりあえずチケットだけ買ってみたら、整理番号が43。その後、飯を食ってから劇場に戻ったら人、人、人。なぜかジャックからベティに変更されていたが、ほとんど満席だったように思う。こんなのは、舞台挨拶があったとき(『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』(舞台挨拶つき)を観る - 関内関外日記(跡地))以来じゃないか。それだけ、この街の人々は『ヤクザと憲法』に関心がある。
 というか、おれは立地において、「観客のまわりがヤクザばっかりだったらどうしよう」とすら思っていた。黄金町、日の出町。まあ、詳しくは知らないけれど。でも、そんなことはなかったと言える。あからさまにヤクザらしい人はいなかった。むしろ、耳に三つ穴を開けて革のコートを着ていたおれの方が怪しまれたかもしれない。
 とはいえ、画面に映し出される現役ヤクザの皆さんもあからさまにヤクザらしいかというと、そんなことないのである。ふだん、おれが出勤している関外、寿町界隈をうろついているおっさんと大差ないのであって、劇場を出るとき、「この人もヤクザかも」、「あの人もヤクザかも」などと思ってしまった次第。いやはや。
 とはいえ、「キャッツアイ事件」というのに関与したとされる組長はえらくかっこいいのである。これは特筆しておかなければならない。普段着(?)なんか見ると、今どきの若者寄りでいて不自然でない兄貴という感じで、静止画だけ見せられたらその筋の人は思えない。スーツ姿になればまた別だが……。
 その他のヤクザの人々というと、なんというかドンキっぽいのである。ドンキのセンス、なのだ。歳相応ではない感じのドンキ・ファッション。ああ、イセザキモールでよく見るあの感じ……。なかでもなにかこう、哀愁を感じさせるのはある組員の自室である。一人暮らしなのだろう、部屋干しされた洗濯物を片付けたりしている、その部屋。ああ、なんというか、このおれ、独身男のこのおれの部屋を思わずにはいられない。おれの部屋はそこまでドンキのセンスじゃないけれど(よっぽどヤクザの部屋の方が片付いているが)、こうやって独り身は歳をとっていくのだろうか、などと思ってしまった。
 映画には若者も出てくる。宮崎学の本を読んでヤクザの世界に飛び込んできた21歳だかの若者だ。部屋住みの下っ端だ。これがもうヤクザに見えないことこの上ない。高校まで野球をやっていて、警察官になったおれの従兄弟みたいなんだ(こんな比喩でだれがわかる?)。なんでヤクザの道に? という疑問符でいっぱいである。それが丁寧に部屋やら組の周りやらを掃除するのだ。坊主頭と相まって、若い修行僧にしか見えない。神社仏閣で御手水を借りたときに感じるような清潔感があるんじゃないかと想像する。まあ、タバコのにおいが染み付いてはいるんだろうけど。
 その彼が、いかにも喧嘩が強そうな組員に〆られるシーンがあって(ドアの向こうではあるけれど)、「暴力団」という感じがするのはそのあたりくらいか。それにしてもまあ、撮ってる側はそのドアの隙間から向こうをみようとするかのようにズームアップするんだ。なんだかもう、怖いものなしというか、怖いものみたさというか、その距離感がよくわからない。冒頭から畳んであるテントを見て「マシンガンですか?」とか直球で聞く、シノギをしたあとに「覚せい剤ですか?」とかストレートでぶち込む、まったくどうかしている。
 そうだ、ヤクザという世界もどうかしているが、このドキュメンタリーの作り手もどっかネジがはずれてんじゃねえかという感じを受ける。その結果、恐ろしいヤクザの実体を暴きだしたドキュメンタリーでもなければ、法によって基本的人権さえ奪われたヤクザを擁護するドキュメンタリーでもない、なんだかよくわからない素っ頓狂な代物になってしまった。おれはそう感じた。それと同時に、こないだたまたま見たNHKの『プロフェッショナル仕事の流儀』の漆を採取する職人が使う刃物を作る職人だの、刀の柄を作る職人が使うヤスリを使う職人だの、消えゆく定めにある世界を映しているのだな、とも感じた。暴力団対策法、暴力団排除条例、これも、がんじがらめで生きていけないでしょ。
 そんなことをズバッと言い切ったのは、山口組の顧問弁護士(だった?)の事務所のおばちゃん事務員である。「ヤクザは今お金ないもの」、「相談は多いけど、手付金となったらキャンセルばっかり」と言ってのける。過去は事務所に何人か事務員がいたが、今は一人という。そして、その弁護士自身すら、おそらくはしょうもない事件にひっかかって……。
 まあ、そんなんで、この映画を観たらなんとはなしにヤクザに同情する……か? というと、おれはそうでもなかったな。まあ、ヤクザの子供というだけで保育園に通えない(とはいっても、今どきカタギでも入れない時代らしいが)とかは問題あるかなとは思うよ。親は選べない。でも、本人は選べる。今さら行き場のないおっさん、じいさんも山程いるのは事実やろうけれど、だからといって反社会的勢力がシャブ売ったりしながら、堂々として羽振りがいい世の中っちゅうのも間違ってる。ゾロ目のベンツ乗り回してるのはおかしいと思う。おれはそう思う。だから、この映画に出てくる、いかにも強権的でヤクザよりたちの悪そうな警察も「このくらいやなければ頼りにならん」と思うてしまう。ヤクザのおかげで夜逃げできたおれが言えた話じゃないかもしれないが、暴力団いうものは、やはり根絶やしにしていくしかないんじゃないの、と思う。そのあと、外国人マフィアやら半グレやらがはびこるなら、それにはそれの対処をしていく、それしかないんじゃないの。必要悪というものがあるとすれば、それは暴力装置たる警察なんじゃないの、と。
 むろん、暴力団根絶やしのために、法を、それこそ憲法を蔑ろにしていい言うわけじゃあない。だが、現状で「ヤクザと憲法」がどうなのか……おれにはちょっとわからん。行き過ぎているのかな。まあ、そういうふうに思わせてくれる映画でもある。それでまた、ヤクザに社会復帰に十分な援助があっていいとも思う。北風と太陽じゃないけれど。
 うーん、甘いな、言ってること甘い。どっちの面から見ても甘い。歯切れが悪い。でもそうなんだもの。なんかこう、この素っ頓狂な作品の感想はそのあたりなんだもの。ヤクザの味方にはなれん。ヤクザはなくなったほうがええ。かといって皆殺しにしろとも言えん。それだけ。情けないねぇ、おれ。

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潜入ルポ ヤクザの修羅場 (文春新書)

潜入ルポ ヤクザの修羅場 (文春新書)

……この本でちょっと予習した。

……こんなの書いてたっけ、おれ。

現代ヤクザの意気地と修羅場 現役任侠100人の本音

現代ヤクザの意気地と修羅場 現役任侠100人の本音

……部屋住みの子がこの本読んでたね。