おれは躁うつ病なのだろうか? 加藤忠史『躁うつ病とつきあう』を読む

 おれは双極性障害という診断名をつけられている。医者は「病名をつけるためにやってるわけじゃない」と言っている。おれにジプレキサを処方するために、そして、ジプレキサが合うために「双極性障害」という名がつけられている。おれはそう解釈している。おれはなんらかの脳の病を抱えていて、とりあえず「双極性障害」ということになっている。そういう理解である。
 とはいえ、それもおれが双極性障害ではないという理由にはならない。おれは双極性障害、すなわち躁うつ病かもしれない。ゆえに、躁うつ病について学ばねばならない。躁うつ病とつきあわねばならない。

躁うつ病とつきあう[第3版]

躁うつ病とつきあう[第3版]

 というわけで、加藤忠史先生の本など読んだりする。精神の分野にかぎらず、病に関する本にはいわゆる「トンデモ」の本も多いが、おれは少なくとも加藤先生の本は信用できるんじゃあないかと思っている。これでなにかとんでもない、医学の主流から遠くはなれたものだとしたら、もうそれはおれなどに判断できないものだと諦めるしかない。
 して、この本は実例を多く取り上げた、躁うつ病のエピソード集といえる。おれが双極性障害だとすれば軽い2型だろうが、1型の要入院の例が多く出てくる。「おれはここまでではない」ないし、「おれは双極性障害だろうか」という思いは浮かぶ。正直なところである。いやはや。
 ちょっと気になったところをメモする。

 ……研修医時代に指導医の先生から言われ、強く心に残っている言葉があった。
 「いかにも心因に見えるときは、身体の病気を疑え。いかにも身体の病気に見えるときは、心因を考えよ」

 おれは医者でもないが、なんというか、腑に落ちると言ったら変だが、そういうこともあるのだろうなと思ってしまう。人間のだるさなどは内臓の不調や、関節の痛みからくることもあるだろう。一方で、呼吸の苦しさや内臓の異変が脳の誤作動であることもあるだろう。人間は心身相互の存在だ。医者にとっても当事者にとっても厄介なものである。まあ、おれもそんな人間の一人であって、生きるのは厄介なことにほかならない。
>゜))彡>゜))彡>゜))彡>゜))彡