なんの機が熟した、なんの木に熟した

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どこらへんがどう熟しているのかよくわからんし、おれには政治がよくわからん。国家の根本であろう憲法を改造するというのは保守の立場なのかね、革新というか、革命的なのではないのかね。いいや、時代に合わせて少しずつ改造していくのが保守のあり方なのだという解釈でいいのかね。おれにはさっぱりわからんのだよね。だいたいにして、なんとか幼稚園にしろなんとか防衛大臣にしろ、グダグダとくだらん茶番ばかりいって、なんというか天皇陛下への恋闕というものが感じられんので、さっぱり信用できんのである。当然安倍首相もそうである。なぜ天皇陛下への恋闕と一言でいえんのかね。それによって世は治まるものだといえんのかね。そういうお前はどうなんだと言われると、おれは「尊敬する人物」というアンケートがあれば「大杉栄辻潤清水成駿」と書くような人間であって、アナーキストなのかというとそうなのかもしれないが、大杉自身が「無政府主義もどうかすると少々厭になる」(『僕は精神が好きだ』)というように、辻潤クラスの、野垂れ死にするといってほんとうに野垂れ死んだほどなにもしないくらいのところが理想だといってもよく、政治についてときに怒ったり、不思議に思ったり、笑ったり、泣いたり(泣いたりはしないが)するが、イズムがないという、ノンポリだという、ダダだという、そういうものじゃないかと思わなくもない。ともかく、そんなものは賢いものたちがやっておれ、おれは自分の生活にカツカツなんだというところがある。そしておれはそうとうに怠け者で何もしたくないというところがある。せいぜい鼻歌で「歩兵の本領」……いや、「メーデーの歌」でも歌ってやるかね。万朶の桜からMayときたら、次は「休日のない六月哀歌」なんかの歌詞をだれかつけたらどうだろう。どうでもいいか。

ところで、花田清輝よ、蜘蛛の巣のかかった何処かの隅にいるのんべんだらりとした革命家は、いったい、如何なるところから生じたのか。その答えも、最も単純である。それは、彼が革命家だったからである。彼は、革命家となった彼の原則を最後まで貫こうとしたため、のんべんだらりとした革命家として、ただ未来のみを唯一の同盟者としてもつことになってしまったのである。彼は自身を未来の無階級社会よりの派遣者として感じている。しかし、彼のもつ革命方式が組織の中で凄んでみせる革命家たちの方式とあまりに違うので、彼はその生存の時代の実践のなかに席を持つことができず、何処か蜘蛛の巣のかかった古ぼけた隅におしこめられてしまったのだ。このような疎外者を、歴史は異端者と名づけるのだろう。異端者とは、何か。権力を握らぬもの、または、権力を握り得ぬものである。それは非権力者から反権力者に至るまでのすべてを含む。つまり、異端者とは、メフィストフェレス、破門者、反抗者、単独者、デカダン、自殺者、不平家、あまのじゃく、孤独者、潔癖家、予言者、警告家、空想家、おせっかい、おっちょこちょい、こまっしゃくれ、道化、独善家、芸術者、逃亡者、等である。

埴谷雄高永久革命者の悲哀

 

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