上原善広『石の虚塔: 発見と捏造、考古学に憑かれた男たち』を読む

 

石の虚塔: 発見と捏造、考古学に憑かれた男たち

石の虚塔: 発見と捏造、考古学に憑かれた男たち

 

 

発掘狂騒史: 「岩宿」から「神の手」まで (新潮文庫)

発掘狂騒史: 「岩宿」から「神の手」まで (新潮文庫)

 

おれは『石の虚塔』を読んだのだが、その後文庫版も出ているらしい。文庫版の方がキャッチーなタイトルだろうか。

はじめに言っておくが、おれは考古学というものに興味がない。学校の遠足などでどこぞの遺跡に行ってもなんの興味も湧かなかったし、なんとか石器とか言われても、天然の石器とどこが違うのかさっぱりわからなかった。復元された土器というのも、現代で継ぎ足された部分の多さに「マジでこれ土器?」とか思ったものだった。それなのにこの本を手に取ったのは、著者が上原善広だということのみによる。

して、なんとも読後感の悪い本であった。この読後感というのは上原善広がまずく書いた、ということではない。決してない。その悪さというのは、考古学世界の嫌な面もこれでもかというほど見せつけられたように思ったからだ。権威、学閥、そして捏造。相沢忠洋の話など、本来は偉人伝的にスカッとするところがあってもいいはずなのだが、そうはいかない。ドロドロとしている。そして、日本の考古学というものがいかに科学的ではないものかというところに、なんだかなぁという思いを抱いてしまう。

唯一、なんというか、信頼できるように思える、本書の良心とも言える、パリで博士号を取った竹岡俊樹にしたって、日本の考古学の閉鎖性の外側にいざるをえない。

「しかし、実際に石器の型式論を唱えている日本で唯一の研究者のあなたが、それを現在の学生たちに教えていないというのは、やはり問題なんじゃないですか」

竹岡は「層位は型式に優先する」を否定し、ゴッド・ハンドの「発見」を一笑に付した。そのような人物ですら考古学会に所属していない。はじめに言ったとおり、おれは考古学に興味はないが、なんだかなぁという気にならざるをえない。

とはいえ、やはり上原善広、そのゴッド・ハンドの藤村新一の取材など、実に読ませるところがある。「ああ、そんな騒動あったな」とか思った人には、一読をすすめたい。とはいえ、やはりスカッとしない一冊なのである。