松本俊彦『アディクションとしての自傷 「故意に自分の健康を害する」行動の精神病理』を読む

 

アディクションとしての自傷‐「故意に自分の健康を害する」行動の精神病理‐

アディクションとしての自傷‐「故意に自分の健康を害する」行動の精神病理‐

 

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  • 〔薬物への〕依存、中毒
  • 〔趣味などへの〕熱中、耽溺

おれも精神障害者双極性障害II型)の当事者として、自分の障害や、人間の精神病理というものに興味がある。ゆえにたまに本を読む。今回手に取ったのは松本俊彦先生の『アディクションとしての自傷』だ。本当にそうなのかどうかは知らないが、松本俊彦先生は信頼できる書き手であると思っている。あとは加藤忠史先生。

さて、アディクションとしての自傷、だ。自傷。おれも20年くらい前は自傷行為をしていた。いや、眠気を覚ますという目的を(でっちあげ?)、手の甲にコンパスの針を刺していた小学生のころにまで遡るべきだろうか。いずれにせよ、現在進行形ではないにせよ、無縁ではない。ちなみに、20年前くらいの自傷行為というと、自分の中では「瀉血」と位置づけ、目立たないふくらはぎの裏などを切っては血を見て安心していたものである。このような心理はいったいどういうものだったのか。そんなところを知りたいと思った。ちなみに、リストカットはしたことはないが、戒めとしてつけた左腕の、半袖を着た時に見える見えないかのところに傷跡が残っている。これはいつまでも消えない。父親が死んだら消えるかもしれない。手首を切るのをリスカ、上腕あたりはアムカというらしい。

して、自傷の本質とはなんであるか。

自傷の本質は、援助者がしばしば誤解しているような、「人の気を惹くための演技的・操作的行動にあるのではなく」、誰かに助けを求めることも誰かに相談することもなく、自分ひとりで身体に痛みを加えることで心の痛みを封印することにある。

「はじめに」

 ということである。おれは自傷をだれにも見せることはなかったし、「瀉血」として、治療行為のつもりで行っていたくらいなものだ。これには納得できる。

「死にたくて自傷しているわけじゃない。生きるのに必要なもの」「切ると気分がスッキリしてイライラが治まる」「心の痛みを身体の痛みに置き換えている」「自傷は私にとって安定剤みたいなもの」。まるで申し合わせたように、患者たちはいう。

 「自傷とは何か」

そう、そうなのだ、カミソリで皮膚を切り裂く、血が流れる。スッキリする。なにか悪いものが出ていくような気がする。そしておれは消毒液で入念に傷口をケアする。膿んだりしたらうんざりするだろう? 

……ってことで、自傷精神安定剤の役割を果たせばそれでいいんじゃね? というとそうでもないらしい。

 かつて自傷行為は、その傷害の程度、反復性、行為に際しての意図などの点から、自殺企図とは区別されると考えられてきた。しかし最近の疫学研究は、過去1回でも自傷行為の経験があるだけで、将来の自殺既遂のリスクが数百倍にまで高まることを明らかにしている。

自傷とは何か」

 自殺のなにが悪い、といっちゃあおしまいだが、まあそういうことだ。ちなみに、自らを切ることによって死ぬところまでいく方法はこれらしい。

 自らを切ることによって自殺した者は、成人の自殺既遂者の1.4%、若年層では0.4%であり、いずれも頸部を切っており、上肢・下肢を切った者はいない。

自傷の概念とその歴史的変遷」

 ウォルシュさんとシュナイドマンさんの研究らしいが、ハラキリないの、ハラキリ? まあいい、死ぬと決めたら首筋一閃だ。ナイスライフハック

とはいえ、ともかく眼球摘出や性器破壊などの極端な例を除いて、軽いリスカは死に近づくものである。

 しかし、注意しなければならないのは、たとえ「生きるため」あるいは「生き延びるため」の自傷行為であったとしても、所詮は一時しのぎにすぎず、実は繰り返されるたびにゆっくりと死をたぐりよせている、という点である。

「自殺と衝動――「切ること」と「キレること」」

まあ、これに尽きるというか、ここんところが肝要なんだろうね。自傷行為による精神安定はやがて効果を失い、自死に至る。そういうケースが多い。周囲の人間に対するアピールなんかもあるが、ここんところだ、と。

さらにはこんなんだ。

精神的苦痛に対して自傷行為やアルコール・薬物の乱用によって一種の自己治療を行っていることである。非自殺性の自傷行為がしばしば不快感情を軽減する目的で行われていることはよく知られているが、物質乱用にも同じ効果がある。カンツィアンは、若年者のアルコール・薬物依存者の多くが、気分障害や不安障害の症状を緩和するために物質を使用していると述べている。

 こうした自己治療の背景には、基本的信頼感の欠如や援助希求能力の乏しさにもとづく、「誰にも頼れない、自分で何とかしなきゃならない」という「背水の陣」的な深淵がある。

「思春期・青年期のうつと破壊的行動」 

うわ、基本的信頼感の欠如! 援助希求能力の乏しさ! 思い当たる! おれ。ああ、おれはもう自傷行為はしていないがアルコールに溺れ、抗精神病薬抗不安剤を飲み干し、いい年して軟骨にピアスの穴を開け(これも自傷)、まったく弁明の余地もない。

しかしなんだろうね、おれが大学を中退するとかしないとかのときに、こんな本に巡り会えていたら(時系列的には無理っぽいが)、なにか変わったのかな。おれは精神科に行くのが遅すぎたのかな。そんなふうにも思う。とはいえ、おれは予後不良の多い双極性障害自傷歴のある自殺候補者。そこんところから目をそらすために、ああ今夜も酒を飲む。おしまい。