ベーシック・インカムの国に希望はあるのか 『ベーシック・インカム』原田泰を読む

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おれは昔、こんな記事を書いた。

d.hatena.ne.jp

2009年のことだ。

おれは働かずに生きていけることを夢見てやまないので、ベーシック・インカムという思考の存在にも飛びついた。2017年現在、現実的なのか、そうでないのか、おれにはよくわからない。

よくわからないので新書を一冊読んだ。

 

ベーシック・インカム推進の本である。

ワーキングプアーは、先進資本主義国家にとって、あってはならないことであった。なぜなら、働きたい人には職を与えられ、それによってきちんと暮らせることが、資本主義が社会主義よりも優れているという証拠とされてきたからだ。

おれはワーキング・プアーだ。まぎれもなくそうだ。生活保護以下の収入しか得ていない。働いているのに得ていない。双極性障害を患って、通常の人間より働けていないという部分もあるが、まぎれもなく収入がない。貯金を切り崩して、あと二ヶ月くらいしか生きられない。自殺するしかない。

ベーシック・インカムというものがあったら、どれだけいいことだろうか。いいことなのだろう。おれは自殺しなくていいかもしれない。おれは生活保護などを受けるには、弱者のポイントが少ないし、弱者プレゼンをする能力もない。おれは死ぬしかない。

ベーシック・インカム負の所得税、あったらいいよな。でも、それがもしも実現されても、おれに残された時間は少なすぎる。おれは死ぬしかない。

そして、それにしたって、実現的なのは月に7万円。あれば大変たすかる。月5万円しかもらえないおれにとっては、生きるために貴重なお金といえる。とはいえ、そんなもの、未来の、遠い未来の話でしかない。おれは死ぬしかない。首を吊ったり、なにか苦しまない方法で死ぬしかない。

貧しいとは、大部分の人にとっては単にお金のないことである。日本では、990万人の人が、年に84万円以下の所得で暮らしている。この人びとが84万円以上の所得が得られるように追加的に給付する費用は2兆円にすぎない。

おれは貧しいし、それによっていろいろの支払いができなくなって死ぬしかない。自死を免れる方法は見当たらない。遠い未来、人びとが貧しさによって自死を選ばなくてすむ制度ができるのであれば、それはすばらしいことだろう。国家によって生殺与奪の権を握られずに、生きていけることを肯定される世界が到来すればよいことだろう。ただ、今現在のおれは死ぬしかない。あと二ヶ月くらいで、金がなくて死ぬしかない。このような無能で金のない人間がいたことを、ここに記しておく。