貧しさは畢竟、選択肢のないことよな

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当たり前すぎることだけれど、頭のなかをタイトルがよぎったので書き留める。よぎったのであって、ヨギータではない。

人生の選択肢の多さは平等ではないA、B、C、Dの人もいればCとDしかない人もいる。たとえばそういうことにしよう。

とたえば、富めるものは4つある。貧しいものにはCとDしかない。スシマスターから2つで充分だというアドバイスを受けたわけでもない。

それどころか、貧しいものにはこの世にAとBとが存在することすら知らないかもしれない。エイトビートは知っていても、エビは知らない。それがロックだというならそうかもしれないが、この世が土曜の夢だというわけでもない。だれもがロックンロール大臣になれるけじゃないのだ。

なおかつ、富めるものにとって好都合なのは、貧しいものが4つの選択肢がこの世に存在することを知らないということだろう。CとD、労働地獄、搾取の道を選ばせておいて、自分たちのAやBの元手にする。ビートはゆっくりと刻む。ブルースは加速していく。

ひとつに、教育というものへのアクセスを安く、あるいは無償にすることにより、世の人びと、本来はAやBを知らなかった人にそれを知らせ、さらに能力と努力によってAやBを選択肢に含める人生を遅らせようという考え方もある。

教育が、高等教育というものがはたして貧しいものを脱する手立てになるのだろうか。おれは高卒なのでよくわからない。たとえば、医師であるとか薬剤師であるとか看護師であるとか(なんか例に偏りがあるな)、そういう理系の資格を得るというのであれば、そうかもしれない。いっぽうで、そうでないもの、たとえば江戸時代の独楽回し文化について研究しているとか、中世のビザンチンにおける母音の変化であるとか、妙好人の国家観における戦争賛美表現の問題について研究しているとか、そういうことが選択肢が増えることになるのかどうかわからない。

ようするに、ネットのインテリからバカにされがちな政権、あるいは官僚による文系の高等学問潰しに「そうなんじゃねえの」と思ってしまうのである。このあたりが、フランス語の活用が覚えられなくて 大学生にもなって座学だの2人1組で課題をなどということにうんざりして大学教育を放棄したおれの限界である。あと2年いれば、一見実学とは無縁なものでも、その考え方の構築が仕事において役に立つのである、などということを知れたかもしれぬ。あるいは就活地獄でこの世から卒業していたかもしれない。

かようにおれは随分と教育と貧困については偏った見方をしているのだが、まあこれも年末のアパートの更新料で一文無しになり、来年2月くらいにはホームレスになる予定の人間が言うことなので勘弁して欲しい。もうそこまでいけば一択というやつだ。選択肢Xくらいまで来ているかもしれない。

いや、おれは随分前から、「自死か路上か刑務所か」のX、Y、Zという選択肢を目の前にして生きてきたし、このフレーズを何度も書いてきたじゃないか。なんだって今ごろ、貧しさは選択肢のないことだなどと言い直すのだろうか。やはりそれは生きるに値しないと世間から判断されたおれの無能によるものだろう。無能者はすぐに忘れる。そして不幸な選択肢しか目の前に残っていない。馬鹿は不幸が好きじゃない、でも不幸は馬鹿を好むのかもしれない。

人類、不幸は良いものですか? 良くないから不幸という。どうしたら不幸を減らせるだろう? 無くせるだろう? 全員が全員、医師になれるほど頭がいいわけでもない。不幸の再生産をなくすこと、これに尽きる。すなわち、貧しいものを無能者は子を作らなければよい。すでに生まれてきてしまったものは、首を吊れ。そうして、金持ちどもに一泡吹かせてやれ。いや、首吊った方が実際に泡を吹くのかもしれないが、おれは首吊りしたいを見たことがない。自分が実行したら見ることができない。現実は雑にできている。おれの頭の中もたくさんの抗精神病薬であふれていて雑然としている。

まあ、そういうことだ。どういうことだ? 金持ちどもからAとBの選択肢を奪い、人類というもの、また自分の食べられるものを育てて、それを食べ、生きて死んでいくくらい退化してもいいじゃないか。そうことだ。それで、頭のいいサルだのカラスだのクマムシだのに地球生命の覇権を握られるならばそれでもよろしい。だれかが頑張って人間を霊長類なんてものにしたわけでもないし、そんな傲慢さなど不要だろう。それまでは、コンビニのすぐ外でラーメンをぶちまけたりしていればいい。それだけだ。