こんな記事がはてなブックマークで話題になっていた。
gendai.ismedia.jpおれは『淋しいのはアンタだけじゃない』という漫画をしらなかったので、なぜ今になってこの話題? と思って読んでみた。ちなみに、「この話題」について、おれは森達也の『FAKE』を劇場で観ている(上に舞台挨拶に来ていてた森達也のサインをもらった)。
goldhead.hatenablog.comで、最初の記事のコメント欄でいろいろ意見が割れている。いろいろな方向から見ることができる話題でもある。おれはこう書いた。
ある漫画家が、新垣隆さんにどうしても聞いておきたかったこと(吉本 浩二) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)
- [漫画]
50デシベルぐらいの難聴の人よく知ってるけど、補聴器つきでも状況や体調、相手の声質とかで聴こえたり聴こえなかったり。脳波検査で出てるなら、佐村河内が作曲家としてフェイクでも、聴覚障害ではあると思う。
2017/11/06 17:42
これは、記事内にあった以下の記事にあったものを読んでのことだ。
ただ、騒動後に佐村河内さんはABR(脳波測定で行われるため、受診者が恣意的に結果を動かすことが出来ない聴力検査)を受けていますが、その再診断書によれば佐村河内さんの聴力は右耳40デシベル、左耳60デシベルで、「軽度から中等の難聴」と考えられるとされています。これについてはどうお考えでしょうか?
たいへん人のプライヴァシーに関わる話なので、ぼやかして書くが、おれがよく知っている(どのくらい「よく知ってるか」といえば、25年以上前から知っていて、たとえば、今この瞬間おれが履いているこげ茶色のコーデュロイのパンツはその人からもらったものである。もちろんサンプル数「1」であることは否定しない)は今50デシベルくらいだ。40〜60、同じくらいなのか、と思った。もちろん佐村河内氏のABRの診断が正しいとして、だ。
その難聴がどのくらいのものか、というと「ちょっと耳が悪い」というレベルじゃないな、というところです。とりあえず、これだけ言っておきたかった。
補聴器なしではまったく会話は無理(相手の耳元でめいっぱいの大声で怒鳴るのが会話だというのならば別だが)。補聴器つきでも、街なかの人混みでざわざわ、にぎにぎしているところでは厳しいし、男の人の低い声なんかも聴こえにくいという。
その人の難聴は生まれつきだけれど、子どものころはもう少し聴こえた。とはいえ、障害者手帳がもらえるかもらえないかギリギリのラインだった。聴力検査のときに子供だからそういう事情がわからず、ギリギリ聴こえるものを「聴こえる、聴こえる!」と喜んで報告してしまう。実のところ、親御さんも医師も看護師さんも、非常に高価な補聴器の公的補助を受けられるようになればいいのに、と思うが、子供に「聴こえないと言いなさい」とは言えないのだ。今では聴力が悪化して手帳を持っている。
そんな話も知っている。
まあそれはべつの話。
ま、そういうわけで、佐村河内氏は少なくとも検査を受けた時点で聴覚障害者であったとおれは思うわけです。だいたいそのくらいの、完全に耳が聴こえない人でも、非常に困難な状況がある、ということです。上に挙げられていた数字が正しければ、その点についてはそうだと思うわけです。
で、作曲がフェイクであったか否か、キャラクターを演じたとすればなぜか、遡ってみて難聴もフェイクであった段階があったとして、新垣氏の付き合いがはじまった時期はどうだったのか、新垣氏の言うことはすべて正しいのかどうかなどは、このエントリーでは取り扱っていないつもりです。以上。