韓国映画における女性への暴力問題(というほどたいそうなことは書けない)

Yahoo!にこんな記事がアップされていた。

キム・ギドク監督を暴行罪で告訴した女優が会見 韓国のタブーと闘う (AFP=時事) - Yahoo!ニュース

 数々の映画賞を受賞している韓国の映画監督キム・ギドク(Kim Ki-Duk)氏(56)が撮影中に女優に暴行した疑いで刑事告訴された件について、被害に遭った女優本人がこのほど会見を開き、白いついたて越しに当時の様子を涙ながらに訴えた。事件が公になることを恥じて泣き寝入りする人が多い保守的な同国で、被害者がこうした告発をするのはまれ。

女性は、撮影中にキム氏から殴られ、台本になかった性行為のシーンやヌードを強要されるなど身体的・性的虐待を受けたと訴えている。女性は最終的に降板し、別の女優が代役を務めた。

正直にいうと、ありそうな話だと思った。思ってしまった。言っておくがおれはキム・ギドクのファンと言っていい。だが、ありそうだと思った。

おれは2008年に、キム・ギドクの『悪い男』の感想にこんなことを書いた。

 

悪い男(字幕版)

悪い男(字幕版)

 

『悪い男』/監督:キム・ギドク - 関内関外日記(跡地)

 ……そしてこの『悪い男』、ぜんぜん乗ることができなかった。これには合わなかった。もしも『サマリア』、『うつせみ』、『春夏秋冬そして春』に先駆けてこれを観ていたら、『サマリア』、『うつせみ』、『春夏秋冬そして春』を観ることはなかったろう。

 この映画に乗れなかったところの一番のところはどこかといえば、女性に対する暴力だ。いや、別に俺はフィクションですら女性への暴力を容認しないフェミニストとかそういったものではない。ただ、とにかく感情的にひくところがあった。

 実のところ、それは今までの四作でも時折感じていたことだ。なんかやけに女性に対する暴力が軽く出てくる。そこにちょっとひくところがあった。これはキム・ギドク監督の感性なのか、あるいは韓国社会、韓国男性が持つ感覚なのかわからないが、少なくとも俺の持つ閾値とは違う、違和感を覚える。この映画にいたっては、その違和感が許容値を超えて、どうにも乗れなかった。

これである。おれは外国というものを知らないので、これがキム・ギドクの特性なのか、あるいは韓国の特性なのかわからないが、映画の中で妙にナチュラルに女性に対して暴力を振るうところがある。

もちろん、日本だって今まさに#MeTooが燃え盛っているところだ。だが、なんとなくだが、女性蔑視、女性差別が同根のものだとしても、現れ方が違っているのかなんというのかわからんが、少なくともおれが育ってきた環境下では「どんなに悪いやつでも女には手を振るわない」的なラインがあるような気がして(べつに暴力だけが悪いのではなくて、性的な行為とか言葉も問題だが。)、どうもそこに何かあるな、と思うのだ。

たとえば、おれの父親もろくでもない人間だったが、母にありとあらゆる精神的苦痛を与えながら、直接的な暴力は振るったことがなかったように思う。精神的な嫌がらせ、暴言、あるいは引きこもり行為と直接的に殴ることにラインを引けるのかどうかよくわからぬ。おれはヘイトスピーチを「まず殴るのと同じ」(=言論で対抗する前に暴力を振るっている)と考えるようになっているが、やはりそこにラインがあるような……ないような。

いずれにせよ、男女やその他どのような性(生)の組み合わせであろうと、とりあえず人間同士くらいはパワハラもセクハラも暴力もなく、よろしくやっていけたらいいのにな、と思う。それによって失われるものがある(たとえば芝居でのスパルタ式演技指導によって役者が目覚めるとか)のかもしれないが、おれはのんべんだらりとゆるく生きられる世の中の方がいいと思うよ。それくらいしか言えない。

あと、問題になっている映画『メビウス』。どんな話だったかと検索してみたら、女性への暴力ではなく、男であるてめえの股間に薄ら寒いものを感じたという、そればかりが書いてあって、自分に失望した次第である。

d.hatena.ne.jp

この映画をフロイト流にでも解釈してどうこうなんて一席ぶつこともできるだろうが、まあそれどころじゃない。ともかく男の股間に恐怖を与えてやまぬ映画である。頭じゃない、股間にくる。