沢木耕太郎『一瞬の夏』を読む

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松影町2丁目の交差点を石川町駅方面に向かって曲がる。直進して、京浜東北線の高架の下をくぐる。さらに直進して右折、左手にファミリーマート、右手にドラッグストア、その先におれのいきつけのスーパー「食品館あおば元町店」がある。

話を巻き戻そう。高架の下をくぐった先のビル、一階に薬局、二階にボクシングジムがある。ジムの名前はE&Jカシアス・ボクシングジム。Eはエディ・タウンゼントのE。Jは純一のJ。純一のフルネームは内藤純一。現役時代のリングネームはカシアス内藤。『一瞬の夏』のカシアス内藤エディ・タウンゼントカシアス内藤を「ジュン」と呼んだ。このジム開設にあたって、沢木耕太郎はカンパをつのったらしい。

と、おれは毎度ジムの明りを見ながら思う。「いつか『一瞬の夏』を読まねば」と。そうだ、おれは『一瞬の夏』を読んでいなかった。内藤律樹が東洋太平洋チャンピオンになったとか、その動向をひそかに追いながら、『一瞬の夏』を読んでいなかったのだ。

カシアス内藤Jr.律樹が王座奪取!ベルト「戻った」/BOX - スポーツ - SANSPO.COM(サンスポ)

"46年前に父が獲得したベルトを腰に巻いた内藤が「うちに久しぶりに戻ってきた」と話すと、「やっと俺に並んだな。あとは超えるだけ」と父も満面の笑みだ"

2018/01/15 18:47

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こんな話題。ただ、『一瞬の夏』で描かれるのは「46年前のベルト」を獲得したときの話ではない。その数年後だ。ボクシングから遠ざかっていたカシアス内藤が、4年ぶりに復帰してからの話である。

 

一瞬の夏 (上) (新潮文庫)

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一瞬の夏 (下) (新潮文庫)

一瞬の夏 (下) (新潮文庫)

 

 

それにしても、だ。冒頭、ボクシングとは関係ないところで「うわ」と思ってしまった。

 改札口を出ると駅前に小さな商店街がある。山手という名の通り、崖と崖のささやかな間隙に道があり、その両側に僅かばかりの商店と家が並んでいる。二分ほど歩くと商店が少しとぎれる。その左側に一本の路地があり、突き当りの崖にへばりつくようにアパートが建っている。記憶によればそうなっているはずだった。そして、そのあたりの地名をたしか鷺山といった。

山手駅、というか、鷺山ってあんた、おれが家庭ゴミを出している場所は鷺山さくら公園という(あなたがもしおれに会いたければ、ゴミの日にその場にいることだ。とはいえ、一万円札を渡すそぶりを見せなければ「ゴールドヘッド? なんですか? 馬ですか? 人違いです」と応えるだろう)。Googleマップで調べたら、おれの「崖にへばりついたようなアパート」は微妙に「鷺山」から外れている。山手の長い直線の商店街から左に入ったほうの崖というと、たぶん「山」の反対側だろう。ただ、カシアス内藤はかつてこのあたりにいた。というか、今も石川町のあたりにいる。あまりの距離の近さになにか興奮するようなところがあった。

その距離感でいくと、カシアス内藤が「店長代理」的に、用心棒的に働いていた本牧のディスコというのも、おれの行動範囲内にあたるだろう。そして、復帰を目指すためにランニングしたのは「公園から、今は廃墟となっている元の根岸競馬場のスタンドあたり」だったりする。おれも根岸森林公園を走ったりする。根岸競馬場のスタンドは廃墟ながらに健在だ。いやはや。

さらに付け加えると、内藤の出身高校は武相高校だった。おれには直接関係ないが、おれの弟は中高と武相に通った。おれの弟が通っていたころは普通の中高一貫校だったが、かつては荒れていたことでも知られる。一方でスポーツに強く、高校野球でもそこそこいけるし(神奈川だけに甲子園にはなかなか行けないが)、ボクシングでもカシアス内藤のほか星野敬太郎を輩出している。あと、出川哲朗とか。

しかしまあ、それはさておき、だ。おれは今までこんな名作を読んでいなかったのかと思うと、後悔すらしたくなる。

 内藤は、リングのロープにバンデージを引っ掛け、ゆっくりと巻きあげていた。巻きあげが終わると、口と顎をうまく使いながら、片手で反対の拳にバンデージを巻きはじめた。

 私は、ボクサーの仕草の中でも、この瞬間を見るのが最も好きだ。いったい何を考えながら巻いているのだろう。あるいは頭の中には何もないのかもしれない。だが、これから自分の体を痛めつけようとする直前の儀式として、それは誰がやっていても厳粛な、一瞬の神聖さすら感じさせるものだった。

このあたりがたまらない。と、「私」沢木耕太郎は、このノンフィクションの中でも重要な位置を占める。カシアス内藤のジムの移籍から、韓国のチャンピオン陣営とのタフな交渉まで請負い、エディ・タウンゼントと内藤の生活費の心配をし、これすなわちまったく「中の人」なのだ。このあたり、『冷血』のトルーマン・カポーティよりも中の人といっていい。

そして、本作はカシアス内藤の復帰前の話の続き、でもあるらしい。この「あるらしい」の具合がなんともいえずいい。おれは沢木耕太郎を読むのは初めて(!)だが、この過去の「何かあったらしい」がいい感じの謎として、ピリッと効いてくる。そしてまた、同じ過ちをおかしているのか? というような自問にも効いてくる。それはなんだったのか。そのうち読む。でも、本書を読む前に読む必要はない。そうでなくても充分だ。

して、カシアス内藤とはいかなるボクサーであったか。具志堅用高と対比して、このように書かれている。

 しかし、内藤にはそのような激しいところがまったくなかった。常に、ためらいながら殴りつけ、困惑しながら闘っていた。

 エディはいつでも内藤に言っていた。

 「リングに上がったら、ケモノ同士よ。殺すつもりで打ちなさい」

 しかし、内藤はリングの上で獣になることのできないボクサーだった。それはボクサーとして致命的な欠陥となるかもしれない弱点だった。

ほれぼれするような身体能力、スパーリングで見せる圧倒感な技術、それが試合では発揮されない。そこにもどかしさもあり、内藤というボクサーの魅力もあったのだろう。競馬でいえば坂路の大将、あるいはオープン大将。それは本人も自覚するところだったかもしれない。

 「ほら、さっき、放送局で話したじゃない。今までに、これはと思うような試合をしたことがあるかどうかって」

 「ああ、あの話か」

 「あれ、ないこともないんだよね、俺」

 「どういうこと?」

 「いや、大したことじゃないんだけど、ちょっとね」

 私は興味を覚えた。

 「誰との試合?」

 「輪島……」

 なるほどと思った。

この試合のハイライト、違法アップかもしれないが動画サイトなどで見られるかもしれない。ともかく、激しい打ち合いとなり、内藤は実に八回もダウンさせられている。だが、本人は二ラウンドに倒されたあとの記憶がないという。意識がないという。だから、やはり「真の闘い」をやりきったということにはならない。だからこそ、内藤は復帰を決意し、ふたたびリングに上がった。とはいえ、やはり内藤の性格、どこか投げやりになったりしてしまう性格はなおらない。そして、おそらくは現代のボクサーも抱えているであろう、生活費の問題もふりかかってくる。

その闘いがどのようなものであり、どのような結末に終わったかは、ぜひとも本書を読んでもらいたい。先にWikipediaで読んでしまってはつまらない。そして、内藤律樹の闘いがどのようなものになっていくかは、まだ誰も知らない。

最後に、今なお癌と闘いながらジムを経営し、ボクサーを指導しているカシアス内藤について、こんな予告があったことを引用しておこう。

 「もしも、もしもですよ、金を誰かが出すといったら、ジムに入れてくれます?」

 「もちろんだよ!」

 金子が弾んだ声を出した。

 「私はね、内藤の今をほしいとは思わないんだよ。それはね、これから頑張れば、かなりのところまで昇っていけるかもしれないよ。でも、私はね、もっとあとのの内藤、つまりボクサーを引退してからの彼がほしいんだよ。あの技術とセンスを持っていれば、ほんとに素晴らしいコーチになれると思う。これからの私には、そのうまさが必要になるような気がするんだ……」

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カシアス (Switch library)

カシアス (Switch library)

 

この写真集(なのかな)の写真を撮った、というか、『一瞬の夏』を撮りつづけた内藤利朗(内藤なのは偶然)も重要な役割を果たしていた。

 

敗れざる者たち (文春文庫)

敗れざる者たち (文春文庫)

 

つぎこれ読むね。