増田俊也『VJT前夜の中井祐樹』を読む

 

VTJ前夜の中井祐樹

VTJ前夜の中井祐樹

 

中井が戦っているのは目の前のゴルドーではあったが、中井が本当にやろうとしていたのは無知な世間を引っ繰り返すことだった。

伝説の総合格闘家中井祐樹の戦いを描いた「VTJ前夜の中井祐樹」。著者曰く。

この奇跡を、私が書かないで、いったい誰が書いてくれるというのか。

である。大傑作『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の著者をしてそう言わせる。いや、おれは増田俊也が書かなければ「木村政彦」という名前も知らないままに生きて、死んでいったろう。もちろん、生きて、死んでも問題はない。が、知ってよかった。そう思った。そして、増田俊也が描かなければ、中井祐樹という格闘家がいかなる存在か像を結ぶこともなかったであろう。むろん、北大柔道部の先輩後輩の間柄ではある。しかし、そんなの知ったことか。右目を失った中井祐樹の戦いが、日本に総合格闘技をもたらしたのだ、ブームを起こしたのだ。そして、その火は世間的に消えかかっているかもしれないが、やはり消え去ってはいない。

 本書の二章にあたる「超二流と呼ばれた柔道家」は堀越英範の戦いを描いたものである。

堀越英範 - Wikipedia

もちろんおれは堀越の名を知らぬ。知らぬが、堀越が猛練習の末に完成させた背負投で、もっとも背負いたかった相手の名は知っている。古賀稔彦である。堀越はアトランタ五輪の代表最終選考会で古賀を破った。背負い投げ一本。オリンピックには出られなかった。とはいえ、ここには一つやりとげた人間が描かれているように思えた。彼の目標はオリンピック出場ではなかった。自らの背負い投げを完成されること。「技術の習得」を第一に据えること。古賀稔彦という怪物の中の怪物を投げること。そこに燃え尽きた人間がいる。そう思える。もちろん、本当のところはわからぬ。わからぬが、そう思わせる。敗れざる者がいる。

俺は全日本選手権に六度出場した。

あの小川直也と旗判定まで持ち込んだ。

天才古賀稔彦を背負いで投げた。

これ以上、俺に何が必要なんだ。

第三章「死者たちとの夜」は、東孝とのやりとりから、東が失った息子のこと、あるいは交通事故で長男を失ったヒクソン・グレイシーのこと、そしてこの世を去った格闘家たちのことが語られる。そうか、ヒクソンが表舞台に出てこなかったのは、長男の死の影響が大きかったのか……。

そして、北大の柔道部の先輩であり、医師であり、僧侶である和泉唯信との対談で本書は終わる。

増田 すべて柔道に替わるんです。僕がちょっと辛いときがあったんですけど、滝澤が電話で「増田君、胸に"北大"っていう刺繍が入った道衣を着ていると思って歩いてみ。そうしたら、どんなことだって耐えられるから」って言ったときに、スーッと楽になったんです。 

このバックボーン、これは強い。いや、強いのだろう。おれにはそういった「道衣」がまったくない。逆にすごいんじゃないのか、というくらい何もない。だから想像にすぎない。想像にすぎないが、おれは努力というものもなければ、勝負の場に立つこともなく、圧倒的になにもなくこの世を去っていくのだと思うと、まあ、それはそれでいいのか、と感じなくもないから不思議ではある。

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この木村政彦の写真の肉体もすごいが、『VTJ前夜』の表紙の右目を手当された中井祐樹の肉体もすごいのだぜ。