本当に怖い『艦これ』

 

「艦これ」とおれ、おれと「艦これ」。それを結ぶのは非常に細い線だ。おれは「艦これ」世界をテレビ放映されたものでしか知らない。ゲームとしてはまったく知らない。おれにとっての「艦これ」は、なにか特定の百合百合しい一組の女の子たちが非常に百合百合しかった、としかいえない。

が、劇場版となると、やはり押さえておかねばというところはある。よくわからないが、アニメの劇場版があれば、それは押さえておかねばならなぬというところがあるのだ。

そういうわけで、劇場版『艦これ』を観た。そして、途中で寝落ちした。寝落ちしたけど、巻き戻して観た。そんなところだ。おれにはゲーム由来であろう小ネタは分からぬし、艦むすたちの正確なども知らぬ(テレビ版の情報などは古くて消え去ってしまっている)。

……記憶が古くて消え去ってしまっている? これはこの映画の大きなポイントかもしれない。というか、テレビ、映画を通して『艦これ』は怖いのである。いったい、基地と戦場以外にどのような世界が広がっているのか、わからんのである。水上を走る彼女たちの速度もわからないし、世界の縮尺というか、広さすらわからない。

忠実にゲームを再現した、のかもしれない。しかし、そこにプレイヤーたる「提督」の姿はない。アイマスにおけるP不在である。その上で、ネウロイ的な何かと戦い、死んだものはそちら側に行き、逆に、向こう側として死んだものはこちらとして転生する。

なんか怖くね? 世界のあり方自体が謎であり、不可侵であり、一方的であり、怖ろしい。フィリップ・K・ディックの世界かという。劇場版では、その怖さが一層具体的に提示され、さりとて解答が与えられるわけでもなく、ひたすら戦場生死の向こうに暗いだけである。

これが作りての意図なのかどうかわからぬ。わからぬが、ともかく結果として怖いことになっている。少なくとも、ゲーム版を知らぬおれにはそう思えてならぬ。彼女たちはゲームの中に閉じ込められていて、終わることのない闘争に明け暮れる。自らの存在を疑いながら、死地に赴く。外の世界がどうなっているかよくわからぬ。……なんというか、やっぱり怖くない? おれはそう思った。あと、同一声優がいろいろのキャラを演るのはポプテピピックの逆だなあと思った。以上。