三つの転機をポケットに入れて

おれの人生に「転機」というものがあったかどうかというと、まったくもって思いつかない。いや、それは嘘、間違ってる。

大学2年生の夏休みに入る日のこと、晴れていた、おれは二度とこの大学には来ないだろうと思った。そのとおりになった。小学生、いや、幼稚園のころから続いてきた、椅子に座らされ、講義を受けるという苦行に、もう終止符を打とうと思った。こんなのはもう苦痛でしかない。大学にまできて同じことの繰り返しだ。

おれは小学校のおわりのころ不登校になった。いじめのようなものもあったし、なによりおれが小学校に合わなかった。中学受験のために崩れた体調を戻すため、という理由を作って長く休んだ。卒業式近く学校に出てみると、同級生から「冬休みより長い休みだったな」と言われた。今はそいつの顔も名前も思い出せない。

して、話は大学中退に戻る。大学を中退しておれはなにをする気だったのか。バイトに打ち込んで世界一周の旅の資金を貯めようとしたのか? プログラミングの勉強をして起業でもしようとしたのか? 否、いっさい、なにもなかった。本当になにもなかった。ただ、親のすねをかじるニートとしてだらだらする気だった。だらだらする気を貫いた。正確に大学の夏休みの期間を知らなかった母親は、秋になっても通学しないおれのことを訝しがったようだが、とくになにを言うふうではなかった。おれはあまり実感していなかったが、家が傾いていた。家屋の問題ではない、家計の問題だ。

そして、我が家は家を失い、土地を失い、離散することとなった。このあたりのことについては、あまり覚えていない。このところ通うようになった精神科医は、おれが「物覚えが悪いのです」というと、「悪いことを忘れるのは悪くないことだ」と言う。その通りかもしれない。ともかく、結果として、気づいたらおれは鎌倉の一軒家から横浜のワンルームアパートにいた。引っ越すにあたって大量の本や漫画を処分した。いくつか残したうちの、水木しげるの『昭和史』ばかり読んでいたような気がする。当初は洗濯機もなく、ユニットバスで100円ショップの洗濯板を使って洗濯していた。そんな気がする。

これも転機。

転落への転機。

そしておれは零細企業にすべりこみ、給料の遅配、無配という仕打ちを受けながらも、もう別のどこにも行く気はなくなった。やっと食っていけるかどうか怪しい、高卒初任給程度の賃金をいただき、社会の底辺を這っている。底辺を這いつつ、おれはもうなにもしたくない。環境が変わることはまっぴらごめんだと思っている。苦しい経済の境遇、先の見えない不安から双極性障害を発症して、病院通いになっても、おれはもう努力もしたくないし、新しい環境にさらされることは断じて避けたいのだ。そしておれはずっと似たような、単純な作業を続けている。なんのスキルも身につかないし、レベルがアップするということもない。

ただ、それももう長く続くまい。否応なしに転機は訪れるだろう。会社の倒産、あるいは会社の倒産、もしくは会社の倒産。そうなったとき、おれは何を選ぶだろう。自死か路上か刑務所か。おれに次の転機があるとすればその三択だろう。アメリカの偉大なる詩人にして作家チャールズ・ブコウスキーは(あるいはその翻訳者は)『死をポケットに入れて』と作品のタイトルに題したが、おれの場合は三つだ。この情けない優柔不断も、勇気をもって「転機」を選び取る人間とは程遠いことを証明している。生のはじめに暗く、生の終わりに冥し。ただ流されるままに生きて、なにごともなさず、死ぬ。人生は降る一方で、おれにはそれに逆らう能力も、気力もない。