『カルト村で生まれました。』を読む

カルト村で生まれました。

なんとなく見かけたので、なんとなく読んでみた。なんかネットで一部読んだような気もする。

「カルト村」がどの団体であるかは、わかる人にはすぐにわかるだろうし、わからなくてもググればすぐに出てくるからわかるだろう。著者が名前を伏せているので、おれも伏せよう。

おれとカルト村、カルト村とおれ。これまでの人生でまったく縁がなかったかというとそうでもないかもしれない。おれが小学生か中学生か高校生かのころ、そのカルト村の農業法人的ななにかが湘南モノレール片瀬山駅前でトラックの行商をしていたような気がするのだ。そして、しばらくたって来なくなるまで、うちの母親が飲むヨーグルト的なものを買っていたのではないか。そして、それはおれもけっこう気に入っていたのではないか、という思い出である。ただ、確信は持てない。似たようななにかかもしれないし、まるで関係ないなにかかもしれない。

して、著者とカルト村となると、実に19年の付き合いである。付き合いというか、生まれ育ったのだから、付き合いではすまない。親と引き離され、無給児童労働を課せられ、世話係からは暴力を振るわれ……。

それでも、恨み節とか告発とかには受け取れないのはなんなのだろうか。のほほんとした絵柄がそうさせているだけではあるまい。とはいえ、「まだ洗脳がとけてないんだよ」というわけでもなく、「いいところもあって、そこを過大評価しているんだよ」というわけでもなく、なんだかよくわからない、というのが感想だ。なにやら、妙だ。その妙な感じが本書の良いところでもあり、なにやら煮え切らない感を与えてくれるところでもある。まるで、カルト農場で作られたヨーグルトが品物としてはいい、という具合だ。

そして最大の救いといえば、19歳になって村を出るという選択を著者がしたところで、脳洗浄や監禁、強引な引き止めもなかったっぽいところだが、そういうものなのだろうか。

しかしまあ、この娑婆という地獄からすると、なるほど理想郷を作りたくなる人間の意志というものもわからないではない。ただ、やはり失敗してばらばらになるか、それを維持していくために「カルト村」になってしまうか……それしかないのだろうか。なかなか社会は、むずかしい。

さよなら、カルト村。 思春期から村を出るまで