【愛猫家激怒】梅崎春生、飼い猫いじめで炎上!

 当時は仔猫であったけれども、一年経った今日では、ふてぶてしく肥り、見るからにあぶらぎって、身の丈は三尺ほどもある。ここで身の丈というのは、鼻の頭から尻尾の先までのこと。地面からの高さということであれば、それはほぼ一尺くらいだ。

 そのカロが我が家の茶の間を通るとき、高さが五寸ばかりになる。私が茶の間にいるとき、こと食事時には、そういう具合に低くなる。ジャングルを忍び歩く虎か豹のように、頭を低くし背をかがめ、すり足で歩くのだ。

 なぜこんな姿勢になるかというと、私が彼を打擲するからだ。カロを叩くために、猫たたきを三本用意し、茶の間のあちこちに置いてある。どこにいても手を伸ばせば、すぐに掌にとれるようにしてある。カロが背を低くして忍び歩くのは、私の眼をおそれ、この猫たたきはばかっているのである。

梅崎春生がこんなことを書いていた。なんでもカロというその猫は、人間の食事を盗み食いする習性があるからだという。そして「猫たたき」なるものは、「荒物屋に行って、蝿たたきを呉れと言えば、これを出して呉れる」というのだから、蝿たたきにほかならない。蝿たたきといえども、人間の大の大人がふるえば、猫にとってはおそろしい凶器にほかならない。そして、梅崎は「なんという浅間しい猫だろう」と言ってはばからないのである。

これが炎上しないわけがあろうか。梅崎はこんなふうに釈明する。

単に飼い猫の生態のみならず、飼い主たる私とのかかわり、猫の所業に対する私の反応、そういうものを虚実とりまぜて、デッチ上げというと言い過ぎになるが、とにかく一遍の小説に仕立てて……

などと、小説だいうわけだ。そして、これに対する世間の反応は厳しかった。

 ……一箇月ばかりの間に、私はこの小説について、読者から数十通のハガキや手紙を貰った。こんなに手紙を貰うことは、私には未曾有のことである。

 

 内容の趣旨はすべてほとんど同一で、私に対する非難、攻撃、訓戒、憎悪、罵倒というようなのばかりである。猫を飼うのはいいが、その猫をあんなにいじめるとは何事か。蝿叩きで猫を打擲するとは言語道断である。以後お前の小説は絶対に読んでやらないぞ首をくくって死んでしまえ、大体そういう趣旨のものが多かった。遺憾なことに賞めて来たのは一通もない。

 世上に猫好きが多いことは知っていたが、こんな具合のものであるとは初めて知った。その数十通の大部分は、読後直ちに怒りに燃え上り、ぶっつけに手紙に書いたもののようで、字も乱暴だし文体も乱れていて、それだけにかえって迫力があり、怒りのメラメラが直接感じられたようである。そしてじゅんじゅんと訓戒を加えた静岡県の一主婦の手紙、冷静なのはこれだけで、あとは多かれ少なかれ情念における乱れが充分に認められた。

このように、燎原の火のごとく怒りのメラメラが梅崎を襲うのである。しかし、梅崎はさらに火に油を注ぐようなことを書く。

 大体猫を愛するような人間には、偏狭でエゴイストが多い。私が知っている限りはそうであるし、ある程度の理由づけも私には出来る。しかしその理由づけをここで書いても、猫びいきから直ちに反証をあげられそうな気がするから、やめておこう。

 しかし猫がいじめられる小説を読み、憤然と抗議の手紙を書くなんて、少々常軌を逸してるとは思わないか。でも、そういうところが猫マニヤの変質性と言えるのかもしれないが。

 彼等にとっては、猫が全世界なのである。全世界とは行かずとも、半世界ぐらいは猫にしめられているらしい。

こんなん書かれては、猫好きは人間たたき(金属バットなど)で梅崎を襲う可能性すらある。とどめにこうである。

 世上の小説を見渡すと、大体が人事のあつれきを主題としていて、つまり人間がいろんな苦難にあう、すなわち人間が環境其の他にいじめられる話が多いのだが、それに対して人間好きがヒュウマニズムの立場から抗議したという話はあまり聞いたことがない。だのに猫を書けばネコマニズムは直ちに抗議をする。変な愛情はあればあったものだ。

猫を愛することをネコマニズムなどといって茶化す始末である。何年か前に女性作家が猫の間引きについて書いて炎上したかと思うが、世上は猫について厳しいのを知った方がよいのではないか。

 

……と、「カロ」(昭和27年1月)、そして「猫のことなど」(昭和29年2月)に書かれていた。

 

して、「猫のことなど」で書きたかったのは「猫のこと」ではなく、そう反応してしまう読者、そしてその理由についてだろうか。

 私小説形式のフィクションと言えば、前述のネコ小説もそうなのであるが、読者は全然それを実生活とイクォールとして受け取っているらしことは、抗議の手紙の殺到でもわかる。これは大変重要なことである。

 すなわち私小説という形式だけで、私はほとんど努力せずして読者に多大のリアリティを確保していることになる。これを三人称で書けば、リアリティだの効果だのに大苦労をするところだ。

 これは勿論明治以来、我等の先輩がルイルイと私小説をつみかさね、そして読者にそういう訓練をして来たためである。私にとってこれは言わば貴重なる天然のボウ大なる埋蔵資源のようなものだ。これを利用せずして他に何を利用することがあるだろう。

 そして、形式と設定だけ作れば、あとはどんな荒唐無稽のウソッパチを書いてもリアリティの確保に苦労はない、などと皮肉を言うのである。そして、最後はこんなんで終わる。

しかし私にならって皆がこれを始め出すと、読者もバカでないから段々にからくりを見破って、信用しなくなるかも知れない。そうするとリアリティは全然うしなわれる。それでは困るから、このやり方は私の専売特許として置きたいと思うが、まさか特許局に願いを出すわけにも行かないので、とりあえずこの一文をもってその特許の確認にかえることにする。

今で言えば、その「形式」とはなんであろうか。ブログ、あるいはもっと短いSNSになるかもしれない。そういう「形式」で書かれた小説は……あるらしいということは知っている。ただ、ウェブの「形式」は移り変わりが激しいので、ちょっと後の読者には、「いったいなんだこれは、読みにくい」ということにもなりかねないか。

また、「ランプの下の感想」ではこう書いている。

……西欧においては前世紀の十九世紀という時代は、人間を凝視し自己を凝視し、それを表現する点においては正統的なリアリズムという大道を確立した世紀であった。私たちの伝統は、人間を凝視した世紀すらも持たないのである。数百の艨艟や数千の戦車やそして数万の竹槍をほこった日本の贋の世紀は没落した。ここに新しい世紀は樹てられなければならぬ。

 

……私たちはも一度人間にもどらなくてはなるまい。と、私は考えるのだ。凝視に耐えるだけの強い瞳孔を、なにはともあれ取戻す必要がある。で、そんな具合にして私は私の出発を持とうと思う。そして私は型になどこだわりたくない。その作品の中に自分が立っていればいいじゃないか。自分の生活を書いたって、荒唐無稽な物語を書いたってその中に自分の答えがないような小説は、いくら面白くても意味がないのだ。

 このあたりに韜晦はあるまい。

もっとも「私の小説作法」などでは、将来、小説は映画のように分業制になるんじゃないか、そうしたら批評家も批評文の合成で対抗するんじゃないか、とか書いている。いや、それもありえない話ではないようにも思えるが、どうだろうか。二人の合作くらいならあるし。アイディア担当、情景担当、セリフ担当、濡れ場担当……とか。漫画は分業でやるのは当たり前の方法だしな。

あとはなんだ、今どきにも通じることを「近頃の若い者」(昭和28年)で書いたりしている。

 しかし現代においては、近頃の若い者を問題にするよりも、近頃の年寄りを問題にする方が、本筋であると私は考える。若い者と年寄りと、どちらが悪徳的であるか、どちらが人間的に低いかという問題は、それぞれの解釈で異なるだろうが、その人間的マイナスが社会に与える影響は、だんちがいに年寄りのそれの方が大きい。これは言うまでもないことだ。若い者にロクデナシが一人いたとしても、それは大したことではないが、社会的地位にある年寄りにロクデナシが一人いれば、その地位が高ければ高いほど、大影響を与えるものだ。そして現今にあっては、枢要の地位にある年寄り達の中に、ロクデナシが一人もいないとは言えない。いや、言えないという程度ではなく、ウヨウヨという程度にいると言ってもいい状態である。それを放置して、何が今どきの若い者であるか。

これなど、それこそパピルスに記されていてもいいんじゃないだろうか。若いやつがバカをやろうがたかが知れている(いや、ダンプカーで休日の歩行者天国に突っ込むとか、そういうのは別として)。権力を持った年寄りがロクデナシだと困る。然り、然り。その上、現今(平成30年)にあっては、絶対数においても年寄りのそれが若者より断然多いのだから、ロクデナシの絶対数も多いだろうし、悪気はなくとも下の世代にとっての負担になっている。おれはもうおっさんになってしまったから年寄りの側かもしれないが、ようそこの若いの、大変だな。

して、梅崎は自分の老後をどう思い描いていたか。「あと半世紀は生きたい」(昭和29年)でこんなことを書いている。

 どんな脅威があろうとも私たちは絶望することなく生きて行かねばならぬ。四十初頭の決意として、私はさしあたりあと半世紀は生きようと思う。西暦紀元二千年の祭典が、世界政府によってパミール高原かどこかで、にぎにぎしく開催されるだろう。その祭典に私は日本地区の文化人代表の一人として参加したいと思う。その節、梅崎春生翁は齢すでに八十五歳になっているが、毎日の食事にプランクトンやクロレラ、それらの適量の摂取により、髪は壮者のようにつやつやと黒く、腰もまだシャンとして全然曲がっていない。さまざまの脅威に耐えてきただけあって、眼光けいけいとして鷲のごとく、精神もピンと張り切っている。そういうカクシャクたる翁が、式典の台上に立ち、荘重なる口調で堂々と『平和の辞』を述べる。万雷の拍手が周囲からまきおこるであろう。

 その日まで生きようというのが、私の第一期の計画である。計画通りうまく行くかどうか。

結果、うまく行かなかった。西暦二千年になってもまだ水爆原爆の脅威は消え去らず、世界政府もできてはいなかった。そして、なにより梅崎春生自身がこれを書いてから十年ほどでこの世を去ってしまったのである。昭和40年、齢50での死である。残念な話だ。猫や猫好きの呪いでなければいいのだけれど。

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桜島・日の果て・幻化 (講談社文芸文庫)

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d.hatena.ne.jp

……いや、実のところ、梅崎春生の本を手にとるのはこれで二冊目。長編など読んだこともない。とはいえ、『桜島 日の果て 幻化』がむちゃくちゃ面白かったのは覚えていて(もちろん細かな内容は覚えていない。クロレラ食ってないからか?)、随筆を手にとってみた次第。これからおれの中で梅崎春生ブームが来るのかどうかは未定。