『ちびまる子ちゃん』だけだった

ちびまる子ちゃん (1) (りぼんマスコットコミックス (413))

おれが遠い昔通っていた小学校というのは、少々古いところがあった。「男女七歳にして席を同じゅうせず」ではないが、男子は男子、女子は女子、というのがはっきりしていた。決して男女が登下校を一緒にすることもなければ、放課後一緒に遊ぶということもなかった。それは異様に恥ずべきこと、とされていた。おれは結果として中学、高校と一貫の男子校に通ったわけだが、ひょっとすると十二年間男子校に通っていた、そんなふうにも思える。まあ、不登校だった時期を除けば、だが。もっとも、中学受験のための予備校に行くと、みな平気で男女で口を利いているので驚いたりもしたのだが。あれは、おれの学校のことだけだったのだろうか、それともおれの学年のことだけだったのだろうか。

というわけで、小学校でも男が読む漫画、見るアニメというのがあって、決して女のものは読まない、見ないというのが鉄則のようなものであった。だからおれは『きんぎょ注意報!』も見なかったし、『セーラームーン』も知らない。女の描いた漫画、女が主人公の作品など見たりはしない。

……が、例外が一つだけあった。『ちびまる子ちゃん』である。作者は女、掲載されているのも少女漫画誌。それなのに、『ちびまる子ちゃん』だけは男も読んだ。アニメも見た、話題にした。むろん、『ちびまる子ちゃん』の描き出す世界は、いかにも少女漫画的というものでもなければ、少女向けというものでもなかった。とはいえ、それでも、「男女七歳にして席を同じゅうせず」のわれわれが、なんの照れもなく『ちびまる子ちゃん』だけには夢中になった。それだけのユーモアがあった、毒があった。おれももちろん『ちびまる子ちゃん』の単行本を買った。何度も読み返した。当時のおれにとって、それは驚異的なことだった。その作者が、さくらももこだった。

さくらももこの第二の衝撃は、エッセイだった。自分で買った憶えはない。父が買ったのかもしれない。『もものかんづめ』だったろうか、なんだろうか、ともかく文章でここまで人を笑わせていいものかと思った。アジア旅行の大麻(おおあさ)さん、今でも覚えている。漫画でなく、文章でここまで、と。

とはいえ、それはおれにとって初めての体験ではなかった。おれは小学生低学年の時分から、東海林さだおのコラムを読んでいたからだ。そして、さくらももこのエッセイにも東海林さだおの名前が出てきたと思う。担当編集者からお手本として東海林さだおの本を勧められ、なぜか東海林太郎の本を探してしまうというような内容だったと思う。おれが好きなもの同士は引かれ合うものだな、と思った。おれが好きなものはどこかでつながっている。ずっと後の話、現在の話といっていいかもしれないが、おれの一つの世界観である。

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さくらももこは、平成30年8月15日午後8時29分、乳がんのため永眠いたしました。(享年53)

これまで温かい応援をして下さったファンの皆様、お世話になりました関係者の皆様に深く感謝致しますとともに、ここに謹んでご報告申し上げます。

そしておれは今日、驚いた。正直、中学に上がってからは、『ちびまる子ちゃん』の漫画がどうなったのかよくわからなくなっていた。だんだん、夕方のアニメを見る習慣もなくなっていった。『コジコジ』などの作品も知らない。最近、といっても何年か前になるのだろうが、「さくらももこの四コマがあまりにもダークだ」とネットで話題になるのを見るくらいになっていた。そりゃまあ、『ガロ』系なのだから元来ダークで不条理なのだろう。逆に西原理恵子が光を浴び、光を放つのとは逆に。それでもいつか、またさくらももこにガツンと出会える日はくるものだと思っていた。あるいは、急にテレビのクイズ番組に出て「江戸幕府を開いたのは?」、「三浦按針!」とやってくれるものかと。しごく、残念だ。

今、おれのアパートにはさくらももこの作品は、漫画もエッセイも一つもない。実家が失われたとき、処分されてしまったのだろう。いずれ、一冊でも『ちびまる子ちゃん』かエッセイを買い戻し、遠いかなたの記憶を掘り起こしてみてもいいだろうか。それとも、『コジコジ』に手を出してみようか。いや、なにも急ぐことはないだろう。多くの人らに愛されたであろうそれらの作品は、作者の寿命より、おれの寿命より、はるかに長く読みつがれることだろう。なにせさくらももこは現代の清少納言なのだから。