とんかつ切って暮らしていけるなら、それでよくね?

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この記事のはてなブックマークで、「ブラック」と決めつけるようなコメントが散見された。そう言いたくなる気持ちはよくわかる。飲食業、下積み修行……やりがい搾取、パワハラ、暴力、そういった連想。

だが、ちょっと待ってほしい。この記事を読む限りでは、どういった労働条件なのか、どのくらいの賃金が支払われているか、わからんではないか。なにか過酷な話といえば、三代目が店に入って15kg痩せたというくらいだ。しかしそれも、もともと90kgあったというのだし、もしも一日中座っている仕事から身体を動かす仕事に変わったのなら、そのくらいの減量は起こりうるだろう。

もちろん、これは推測の話だ。おれは「とんき」を知らぬ。というか、名のあるとんかつ屋でとんかつを食べたこともない。推測に推測を重ねてなんだけれども、行列のできる店はそれなりに儲かっているのだろうし、従業員にはそれなりの賃金が支払われているのかもしれない。あるいは、かなり好条件な可能性もある。もしもそうであれば、それでいいんじゃねえか、とおれは思うのだ。

なんというのだろうか、仮に同世代の勤め人と比べて安い賃金だったとしても、お米を炊いたり、キャベツ刻んだりして、自分が満足できる生活ができるならそれでいいじゃないか。飲食業を独立できるほどの技能、経験、知識を得て開業するのもいいだろうが、ひとつの飲食店で、とんかつを切ることで暮らすのに十分な稼ぎを得られるならば、それはそれでいいだろう、と。

余計なことを言うと、職業に貴賎なしというが、それでもやはりネットで情報商材を売って稼ぐより、人が物食う対価としてお金をもらえるならば、そっちの方が真っ当じゃないか。

もちろん、これも推測だ。修行中にろくな賃金が支払われず、まかないもキャベツご飯(なにそれ?)だけで、緑色にやせ細っていくブラック企業なのかもしれない。その可能性を否定はしない。

とはいえ、一般論として、もしも、とんかつ切って暮らしていけるなら、それはそれでいいんじゃねえかと、やはり思うのだ。決してプライベート・ジェットを買えるほどの大金を得ることはないにせよ、それなりの職があって、それなりの人生を送る。食べたいと思ったときに、「かつや」のとんかつくらいは食える。そういう労働、人生があっていい。むしろ、そういう場があるべきだ。……って、とんかつ職人の技、その価値を低く見ているわけではないのだけれど、まあ。

コンピュータの言語を理解できる少数の高等な人間以外は価値がないというのが現代の趨勢だろうが、そうじゃない道があってもいいんじゃないか。それは夢想だろうか。おれはデイ・ドリーム・ビリーバーだろうか。もちろん、人間的な扱いをされるという条件はつくが、米を炊くことで、キャベツを刻むことで、とんかつを切ることで生きていけるという選択肢がある、それは悪くないことだ。機械にできることかもしれないが、人間が役割を与えられる、食っていける、それは悪くないことだ。おれはそう思う。