チャールズ・ブコウスキー『指がちょっと血を流し始めるまでパーカッション楽器のように酔っぱらったピアノを弾け』を読む

酒を飲み

競馬をし

詩に賭ける以上に

することもなし

 

おれはチャールズ・ブコウスキーの信奉者であり、とうぜんこの詩集を読んだことはある。が、あらためて読んだ。読んでみたところで、「やっぱり原語で読むべきだろうな、でもおれ、英語わからねえし」と思った。

古いグレタ・ガルボの映画を夢見ながら。

おれは新聞紙の販売機に半ドル入れて

最新のセックス新聞をとった。

それからサンドイッチ屋に入っていって

サブマリンと

コーヒーのラージ・サイズを注文した

客たちはどうやったら減量できるかという話をしながら

すわっていた。

おれはサイドオーダーに

フレンチ・フライを注文した。

セックス新聞の広告の女の子たちは

セックス新聞の広告の女の子たちのように思えた。

女の子たちは孤独ではないのよとおれに語っていた

解決してあげるわとおれに語っていた

……「サンドイッチ」部分

セックス新聞(なんだそれは?)の女の子たちは、セックス新聞の女の子たちのように思える、そこがいい。そこがブコウスキーの直截であり、達観でもある。おれは、実は博識なブコウスキーの、しかしそれでも、その生活に根ざしたところにとどまるところが好きでならない。そして、時代も場所も違えども、同じ下からの目線、地べたの目線を共有していると、勝手にそう思っているのだ。

ボクシングの試合と競馬場は

寺院の学習である。

 

同じ馬と同じ男が

同じ理由で

いつも勝ったり負けたりするとは限らない。

……「馬と拳」部分

そして、馬である。おれはボクシングというものを間近に見たことはないが、競馬と同じなにかがあのであろう。ブコウスキーが競馬と拳について伝えたかったこと、それを享受したいと思えてならない。社会の下のほうに位置して、そこから抜け出られない人間の悲哀と、歓喜のまやかしを忘れないようにしたいのだ。

ハイ/孤独/酩酊/悲しみの笑い

アイ・ラブ・ユー。