そういえばATOKはおれの脳みその拡張だったのだけれど

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こちらの記事を読んで、「おれもATOK使いだったなー」と思った。おれがパソコンというものに触れてから、IMEATOKだった。父親がそうしていたので、それに倣った。というより、「ことえり」の馬鹿さ加減というのは、中学生だったか高校生だったかのおれにも全く耐えられないものだったのだ。

ともかく、おれはATOKの辞書を鍛えていった。私用から職場での使用、ATOKはおれの脳の拡張だった。

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が、何年か前かわからないが、おれはWindowsのPCというものを買った。買って、IMEはどうしようかと思った。なに、Google日本語という無料のものがある? とりあえず入れてみる。

これが、あんがい悪くない。とくに、新しい固有名詞に強い。そう感じた。そう感じて、自分用の、個人的なパソコンにATOKは必要ないな、と思った。おれが貧乏なせいもある。

そして、職場のMacでも、ATOKをやめた。機種を換えたから、OSが換わったから、というタイミングで、新しいATOKを買う必要に迫られた。たしかそうだった。おれは貧乏だし、おれの会社も貧乏だった。おれは、自宅のPCでの使用感から、ATOKではなく無料のGoogle日本語入力を選ぶことにした。そもそもおれは、できるだけ漢字は開くようにしていたのだし、Google日本語でいいじゃないかという判断だった。

あと、どうでもいいことだけれども、おれはかなり早い段階で旧字旧仮名遣いの辞書をATOKのメーンの辞書に統合させてしまっていて、仕事でたまに旧字体が混ざってしまうというデメリットも感じていた。これはおれの若気のミスの延長なのだけれど。

で、その判断から何年経ったかも忘れた。でも、おれは、いま、私用でブログを書くのも、仕事で日本語を書くのも、Google日本語で十分だと思っている。おれのATOK信者っぷりはどこに行ったのか、という話である。なかには誤った固有名詞もある。文脈を読んでくれないな、と思うこともある。でも、「ことえり」よりはそうとうに賢いし、おれはおれの言葉を紡ぐのにこれで十分だという気がしている。弘法筆を選ばずというが、おれは弘法でもないし、ひょっとしたら「ことえり」で十分なのかもしれない。べつに今からATOKに戻ってもいいだろうし、そうでなくてもいい。しかし、金がかからないぶん、おれは戻らない。

ATOKはおれの脳の拡張だった。だが、おれはいま、Google日本語というもので電脳世界とアクセスしている。そんなふうに思って、まあどっちでもいいじゃねえの、と思っている。まあ、なんというか、なんでもない話なのだけれど。

 

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