『なぜペニスはそんな形なのか』ジェシー・ベリング

 

なぜペニスはそんな形なのか ヒトについての不謹慎で真面目な科学

なぜペニスはそんな形なのか ヒトについての不謹慎で真面目な科学

 

 というわけで、なにもかも言ってしまうことから始めよう。本書は、何事も進化論的に考えたがる、無神論のゲイの心理科学者の目を通して見た世界である。それにぼく個人の信念を隠しはしないが、ぼくは思慮のない人間でもある。ぼくがあなたにお願いしたいのは、少なくとも十いくつのエッセイを読み終わるまで判断を保留してほしいということだ。

「不適切なるものへの誘い」

まえがきにあたるページで著者のジェシー・べリングはこう述べた。おれも高卒文系ながらダーウィン進化は大好きだ。もしも算数と理科ができる人間に生まれ変われたら、進化論、進化心理学を勉強したいと思うくらいだ。もっともおれは輪廻も神も信じていないのだけれど。

というわけで、十いくつのエッセイから、面白かったところをメモしておく。多くは『サイエンティフィック・アメリカン』に掲載されたものらしいが、その雑誌の値打ちをおれは知らない。あと、必ずしも本の順番どおりではない。

 

「どうしてぶら下がっているの? その理由」

ぶら下がってるのが何かって? 本のタイトルから想像できるだろう。これについては、男性の身体を持って生まれた人間は、非常に痛い思いをして思いを巡らせたことがあるのではないだろうか。そうだ、こんなものぶら下げてるのがおかしい。痛いで済めばまだいいが、もっと酷いことになって生殖機能を失ったりする危険性もある。それは進化論的にどう説明をつけられるのか?

ひとつの説として、進化論における「ハンデキャップ説」がある。本来なら目立ってしまって生存の不利になるのに、逆に「こんなすげえ派手だけれど生きていけるくらい強いのだぜ」というアピール、なんかすげえ派手な鳥とか、そういうのを思い浮かべてほしい。が、人間男性のそれ、そこまで奇抜でもないし、カラフルだったり、光ったりもしない。どうも違うらしい。

では何なのか、というと、温度調整が目的らしい。精子というのは繊細なやつで、活動できる温度がけっこうシビアだ。そこんところを、うまく放熱したりしてきたやつが生存して、多く子を残してきた。その説が有力らしい。

 

なぜペニスはそんな形なのか?

じゃあ、次は垂れ下がっているほうだ。なんで先っぽがそんなふうになっているのか? これについては真面目な科学者たちが真面目にポルノショップに行き、真面目に先っぽがそうなってる性具とそうでない性具、そして女性器の性具を買い、「ふるいにかけた、白いが漂白されていない小麦粉をカップに0.8杯、それにカップ1.06杯の水を加える。これらを混ぜ合わせて沸騰するまで熱し、その後掻き回しながらとろ火で15分。あとは自然に冷めるのを待」った液体を用意し、実験した。

それでなにがわかるのか? それは、先っぽがそうなっている性具の方が、そうでない性具より大量にヴァギナ内にあった精液を掻き出した、のだ。そう、他のオスの精液を掻き出して、自分の精液を残す。自分の子孫を残す。そういう推論だ。ちなみに、「父親の違う二卵性双生児」という例が存在するらしい。どのくらい似ているのか、似ていないのか。

 

早漏のなにが「早過ぎ」?

これも進化論的に考えてみると、無防備な性交の状態をいち早く終えられるほうが有利だろう。チンパンジーなどは「秒」レベルという。むしろ、遅漏のほうが問題だろう。というか、実際、早漏と遅漏は遺伝するという調査結果もあり、遅漏の男のほうがはるかに少ない。で、早漏どうなのか? というと、このエッセイでは「まだわからん」というところらしい。入れる前に出してしまうオスは子孫を残しにくいだろうが、だからといって秒で終わらせるのが普通ではない。そこには、メスとの関係、というものがあるのかもしれない。

 

ヒトの精液の進化の秘密

……日常のことば遣いでは区別せずに言ってしまうことが多いのだが(科学的とは言えないほかの用語もそうだが)、精液は精子とイコールではないということである。実際あなたは、ヒトの男性が一回あたりに射精する平均的精液の1~5%にしか精子(精細胞)が含まれていないということを聞いて、驚くかもしれない。

驚いた。して、精液の精子以外を精漿というらしい。その精漿には50種類以上もの成分を含んでいるという。その中には、気分をよくする物質が含まれている。

コルチゾール(愛情を高める効果があることが知られている)、エストロン(気分を高める)、プロラクチン(自然の抗鬱薬)、オキシトシン(これも気分を高める)、甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン(もうひとつの抗鬱薬)、メラトニン(催眠物質)、そしてセロトニン(おそらくもっともよく知られた抗鬱作用のある神経伝達物質

などなど。そこで、普段コンドームを使って性行為をしている女性とそうでない女性をアンケート調査したところ、後者の有意に鬱の症状が少ない、などという結果が得られたともいう。女性器付近にはいろいろな血管網にとりかこまれていて、薬を運ぶのに理想的な経路、らしい。

こうなるといろいろ想像もできるが、著者は最後に釘を刺す。

最後に、女性の方々にひとこと。このエッセイを都合よく読んだ男性が「ぼくは医者じゃないけど、睾丸で薬を処方できるんだ」と言うかもしれないからだ。このエッセイにはいくつもの但し書きがついていることをお忘れなく。

しかしまあ、「睾丸で薬を処方できる」と言う男に魅力を感じる女もいないような気はするのだけど。

 

あそこの毛 ― ヒトの陰毛とゴリラの体毛

本題とはちょっとそれるエピソードが印象に残った。16ヵ月齢の赤ん坊に大人のような陰毛が生え、ペニスが大きくなり、頻繁に勃起するというケースがあった。調べてみると、テストステロンが異常なほど高い。その原因はというと、父親が鬱状態の対策として、テストステロンのジェルを毎日二回ほど肩や背中や胸に塗布しており、その状態で赤ちゃんを抱っこしたり、一緒に寝ていたりしたから、というのである。父親が塗布をやめたら、赤ちゃんも年相応に戻ったという。……そんなことって、あるんか。

 

なぜにきびができるのか ― 裸のサルとにきび

……1984年にさかのぼるが、臨床医のマリオン・ザルツバーガーとサディ・ザイエンスは「さまざまな側面から考察した結果たどり着いた見解では、単一の病気で、にきびほど心的外傷、親子間の関係不全、不安感や劣等感、そして大きな精神的苦痛を引き起こすものはない」と結論している。

 これは60年以上まえのことであり、もちろんそれ以後、にきび治療産業は飛躍的に成長してきている(心理皮膚科学という精神医学の下位分野もあるほどだ)。

はてな匿名ダイアリーを読んでいる人には、ある増田のことが思い浮かぶかもしれない。人間がにきびをある人に対してさまざまな悪印象を抱くことも実験でわかっている。これは進化心理学的にいえば、より健康である可能性が高い異性を選択してきた結果だろう。多くの人がヘビを恐怖するのは、ヘビを恐怖する性質を持った人間のほうが、そうでない人間より生存してきた確率が高い、というのに似た話。そして、そのような深いところに根ざした人間の心理からくる意識的、無意識的な悪感情にさらされ続ければ、たしかに大きな心的外傷を追うことにもなるだろう。外見の問題は、にきびに限った話ではないが、たかがにきびとは言えないのが現実だろう。思春期のおれにもにきびがポツン、ポツンとできたが、幸いにも市販のクレアラシルとすごく相性がよく、悩まされることがほとんどなかったのは偶然の幸いである。

 

脳損傷があなたを極端なほど好色にする

クリューバー=ビュシー症候群という病気があって、性的衝動の制御能力が完全に崩壊するという。これは癲癇患者の側頭葉切除手術などで引き起こされるというが、ともかく物理的損傷が「自由意思」を完全に抑え込んでしまうという。

して、著者こう問いかける。

 私たちの大部分は日常的な認知能力が損なわれる脳損傷を負った患者の人たちに大いに同情する。たとえば、彼らがだれかの名前を覚えようとしている時、私たちは覚え方を教えてあげたり、ほめたり励ましてあげたりして、彼らの知的な障害を軽減してあげようとする。しかし他方で、性欲やほかの多淫な動機を制御し抑制するように進化した灰白質の一部が破壊的な損傷を負った場合は、このように寛大でいられるだろうか?

これはかなり人間の自由意思や道徳といったもののコアに突き刺さる問いかけのように思える。脳の中の問題から、社会、法律の問題まで。同じような問いは「ヒトラーで考える自由意思」というエッセイでも語られている。もしもアドルフ・ヒトラーが5歳のころにタイムスリップできたら、その子を殺してしまうべきだろうか、あるいは後の世界の記録を親や本人に見せればいいのか。ヒトラーは持って生まれたものでそうなったのか、そうではないのか……。あるいは、人間の決定論的理解が反社会的行動を助長してしまうという実験結果について。

 

女性の射出

いわゆる「潮吹き」について。

化学分析から少なくとも次のようなこともわかっている。すなわち、尿素がふくまれることがあるにしても、女性の射出液は尿ではない。

はあ、そうだったのですか。

 

自殺は適応的か?

 自殺の科学的理解は、傷つきやすい10代のゲイにとってだけでなく、自殺を好ましくする状況にいる人々にとっても有益である。「自殺を好ましくする」と表現したのは、ヒトの自殺が適応的行動方略だということ――進化の方程式のなかに社会的、生態学的、発達的、生物学的変数を入れ込んでゆくと、そうである可能性がますます濃厚になる――を示す重要な研究があるからである。それらの研究はみな、もとをたどると、ほとんど忘れられていた1980年代初めのデニス・デカタンザロの考えにさかのぼる。ひとことで言うとデカタンザロは、ヒトの脳が、ある特定の条件に直面した時に自分の命を絶たせるような自然淘汰によってデザインされている――なぜならそれが自殺をした祖先の全体的な遺伝的利益にとって最善だったから――と考えた。

まだ子供を作っていない人が自殺してしまえば、その人の遺伝子は淘汰されたということになり、後には残らない。とすると、自殺をしなかった人間の遺伝子を受け継いだ人間ばかりが残るはずだ。だが、そうではない。なぜか。そこに出てくるのが「全体的な遺伝的利益」というものだ。

 進化的見方からも、自殺が適応的というのは奇妙に聞こえる。というのは、生存と繁殖という進化の第一原則と相容れないように見えるからである。しかし、進化理論の専門家ウィリアム・ハミルトンの有名な包括適応度の原理が明確に示すように、問題に成るのはその個人の遺伝子が次世代以降にどれだけ伝わるかである。したがって、もし自分の生存のせいで血縁者の遺伝子が次の世代に残らなくなってしまうのなら、遺伝子の正味の利得のために自分の命を犠牲にすることは祖先の時代には適応的だったのかもしれない。

進化論者が飲み会で言ったというジョークに、「自分は○人のいとこのためなら死ねる」というのがあった(何人だか忘れた。勝手に計算してください)。

……追記。出典があった。

J・B・S・ホールデン - Wikipedia

彼は溺れている兄妹のために命を投げ出すか?と問われて次のように語ったと言われる。「2人の兄妹、4人の甥、8人のいとこのためなら喜んで命を差し出すだろう」。これはホールデンが後年の遺伝子中心視点主義や血縁選択説を先取りするアイディアを持っていた証として語り継がれている。

……すなわち、いとこが持つ血量(競馬的表現)が自分と等しければ、その一族の遺伝子は次の世代に残るということだ。そういった口減らしができた一族が生き残ったり、逆にそうでない一族が、その成員のみなが自殺をしなかったせいで生き残れなかった場合もあったということだろう。自殺傾向の遺伝というものが自然淘汰で消え去らなかったという理由だ。

このような包括適応度は、直接の子供を残さない同性愛者についても言えるらしい。なぜ同性愛的傾向を持つ遺伝子が滅ばなかったのかといえば、自分と遺伝子を共有する生物学的血縁者への投資によって、親以上に遺伝的に成功する場合もある、という話だ。

自殺と同性愛を同列に語れるものでもないだろうが、一見して進化論的に「なぜ?」と思えることについても、こうすると説明がつく。このあたりが進化心理学とかいうものの面白いところだと思う。むろん、おれにはこれが科学的な説明か、ただのこじつけか見分けることはできないのだけれど。

 

以上、この本は非常に面白いので、ともかく手にとって本屋のレジなり、図書館の貸出カウンターなりに持っていくべきである。とはいえ、このエントリーがGoogle広告あたりから警告を受けたら、速攻で消す覚悟であることを加えて述べておく。

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d.hatena.ne.jp

ちなみに訳者はこの本も訳してる鈴木光太郎先生だった。

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……おれが進化論、進化心理学について興味をもったのは、おれのような精神疾患の人間が生まれる要素のある遺伝子が、なぜ淘汰されなかったのか、というところがある。自らがゲイであるジェシー・べリングも似たようなところから、そして下品とされるものを好む性格から、それを真面目に取り扱う方面の科学に進んだのだろう。たぶん。