今夜、インフェルノという名のバーで

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おれがおれの墓になにか言葉を刻む権利があるとすれば、「偉大なる自然は長い時間をかけてこのようなものしか造れなかった」と、ラテン語で。

ラテン語で?

必要以上に卑屈になるのは、その卑屈な態度ゆえの傲岸さを演出したいがためだ。おれの言動、いや、ネット上の君らにはわからんから言葉か、おれの言葉が必要以上に下から目線のときは、おれが非常に高慢なときなのだ。覚えてけ。役には立たない。

逆におれが高慢な言葉を吐くときは、酔っているときだ。おれの書いたものが多くの人に読まれるとき、その文章が素面で書かれた試しはない。君、ネットでたくさんの人に読まれたければ酒を飲んで、精神のたがを外すべきだ。そうでもしなければ、他人の心に届くものなど書けやしない。

怖れることは必要だ。

われわれは火を御してきたものの生き残りだ。火を怖れなかったものの生き残りではない。火を怖れなかったものは火に焼かれて滅んでしまったはずだ。われわれは火を御してきた。そして、怖れてきた。

人は昔、鳥だったのか。海に帰るべきなのか。

進化心理学シオランの奇妙な結合を夢見ている。おれは具体的に言葉を操作することができない。ものを考えられないといっていいかもしれない。考えるまえに打ち込んでしまう。打ったあとに軌道を修正するかといえば、そんな話もない。ただ、おれはこのような言葉を打ったな、と思うだけだ。

このごろ、毎日、「今日は人生最良の日だ」と心の中でつぶやくようにしている。ポジティヴさが欲しいのか。欲しくないといえば嘘になる。しかし、おれがそのようになれないことは、おれが一番知っている。

一日生きれば、一日分知る。知るのはよいことだ。だから、今日という日があれば、それは最大量の知をもったおれの最良の日なのだ。

忘れることはもっとよいのかもしれないが。

さて、こんな話を、あなたとどこですればいいのだろう。オノエマンテマの咲き乱れる高原で。

あるいは、今夜、インフェルノという名のバーで。

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