シオランとセリーヌ、シオランとペソア(シオラン『カイエ』を読み終わる-01)

 

カイエ 1957‐1972

カイエ 1957‐1972

 

シオランは1911年に(望まなくして)生まれ、1995年に死んだ。セリーヌは1894年に生まれ、1961年に死んだ。ペソア1888年に生まれ、1935年に死んだ。

おれはセリーヌの『夜の果てへの旅』は生涯そばに置くべき本であると思う。そして、ペソアの『不穏の書』も大発見であった。そう思った。

が、おれには何よりシオランが勝った。勝ったのであるが、それによってセリーヌペソアが霞むようなわけでもない。むしろ、シオランが「ぜったいに出版するなよ、絶対だぞ」とダチョウ倶楽部的に言い残した『カイエ』に、両者の名前が出てきたのが嬉しくてたまらない。

『カイエ』の日本語版の人名索引によると、セリーヌは11回、ペソア(ペソーア)については2回触れられている。

おれは、おれの反出生主義について、まずペソアで発見できたようなところがある。それゆえに、シオランペソアに言及するところは、意外でもあり、納得できるようなところでもあった。シオランはスペインへの愛着を何度も語っているが、ポルトガルの紙幣になるような(それをするポルトガルという国もすごいと思うが)ペソアへの言及、これは「おっ」と思った。

ペソーアのある手紙の翻訳で、訳者は<心的危機>という表現を用いているが――ここは<精神の危機>とすべきだろう。というのも、それは意気消沈といったようなものではなく、同胞への自分の態度の再検討なのだから。ペソーアの場合、それはほとんどトルストイの危機、したがって精神的な危機だ。

『カイエ』1969年1月8日

おれはトルストイをろくに読んだことがないか、まるで読んでないかのどちらかなので、これの意味するところはわからない。おまけに、翻訳の翻訳の翻訳であって、もはやわからないの果てに消滅している。だから、シオランペソアに言及している、というほかない。とはいえ、ここにペソアを批判的に言及しているようには見えないので上々だ。

 アルヴァーロ・デ・カンポス(ペソーア)の『詩集』を開いたところ、たまたま次の言葉がお目にかかる。

<Seja o que for, era melhor nãoter nascido.>

 いずれにせよ、生まれないほうがずっとよかったのだ。

『カイエ』1970年1月19日

 

ペソアの意図的な多重人格的なあり方を尊重して「カンポス」の名を出すところが、シオランの誠実なところである。 そして、半出生主義的なところを引用するあたりがしびれる。おれにとってしびれる。またしっかりフェルナンド・ペソアとその各筆名を読むべきかと思うのである。

シオランセリーヌ。こちらはシオランペソアほどのおどろきはないにせよ、「やっぱりつながってくれていたか」という思いが強い。『対談集』などで名前はあがっていたにせよ、フランス語圏の曲者、狂犬、そのあたりで共通点がないわけではない。というか、むしろチャールズ・ブコウスキーシオランを並べるより、セリーヌと並べたほうがしっくりくるというものだ。

 サルトルは良きハイデガーにも比すべき作品を書くことに成功したが、良きセリーヌに比すべき作品は書けなかった。模倣は、文学より哲学のほうがずっと簡単だ。

『カイエ』1968年11月18日

おれはサルトルハイデガーも読んだことはないが、なにやらセリーヌが持ち上げられている。「良き」セリーヌが。

 セリーヌの過ちは、ユダヤ人への賛否両論を書かずに、反論だけを書いたところだ。

『カイエ』1970年9月18日

セリーヌが褒めている、たった一人の作家はポール・モーランだったという。いつか読んでみようかモラン。それはともかく、セリーヌの反ユダヤ人的物言い。おれは日本人だからセリーヌの半ユダヤ人的文書を読めたが(ヨーロッパでは発禁らしい)、まあ読んだところでおもしろくもなくところで。一方で、シオランユダヤ人への憧れというか、ユダヤ人になりたいというようなことをたびたび書いていて、そのあたりは西洋人でなければわからない感覚かな、などとも思う。

 セリーヌははなっから作家、それも偉大な作家だったが、最後は患者、やはり偉大な患者となって終わった。

『カイエ』1970年10月5日

おれは「セリーヌ全集」を読破したぞ、と言って威張りたいところはあるが、セリーヌの真骨頂は『夜の果てへの旅』と『なしくずしの死』あたりであって、その後は読むのも苦痛だぞ、というところがあって、「最後は患者」なのだとすれば、それはそうだと言えなくもないのである。

 書物とはかかわりのない独創性、こういう独創性のある人間とパリで出会うのは困難だ。自然人はどこにいるのか。セリーヌは、その出発点が文学的なものではなかった最後の人間だった

『カイエ』1970年10月16日

セリーヌの出発点、これである。『ゼンメルヴァイスの生涯と業績』、それもそうなのかもしれない。それを指しているのかもしれない。それは、カート・ヴォネガットが称賛したところでもある。カート・ヴォネガットは1922年に生まれ、2007年に死んだ。

 ハイデガーセリーヌ――ジョイス以後、言葉を検討しては言葉をいじくりまわし、虐待し、言葉に語らせようとした、きわめつけの哲学者と作家……

 言葉の拷問者。

『カイエ』1971年2月16日

おれはハイデガーを知らぬが、そうか、きわめつけか。おれがフランス語を解し、セリーヌ三点リーダーに悲しいほど打ち込まれたのなら、どんなにすばらしかったことだろうか?

 

 教育は言葉の力と生きのよさを損なう。

 セリーヌはサロンの出ではない。私が知り合った、言葉の天分に恵まれたほとんどすべての連中は、礼儀作法を知らなかった。彼らは天衣無縫、言葉をじかに生きていた。

『カイエ』1971年3月9日

おれもサロンの出ではない。かといって、おれの言葉に力があるだろうか、生きのよさがあるだろうか。少しでもあるという人がいるのであれば、おれがサロンの出ではないというのがその理由だと思ってくれてかまわない。……サロンってなんだ?

 

……というわけで、シオランの『カイエ』を読み終えた。ここには、シオランの著書の元ネタというか、根本があって、「下書き、失敗作、残骸、こういうもののほうが私には作品よりもずっと面白い」と書いた彼自身の何かがあるように思える。今回は、その中から、おれの好きなセリーヌ、おれの好きなペソアについて触れられているところを抜き出してみた。おれの好きなものは、おれの知らないところでつながっている。それはおれの「好き」を確固たるものにする。世界のなかのなにかはリンクしていて、ときにそれはおれの曖昧な感情を目に見えぬ理屈によって支えてくれる。おれが楽しいと思うのは、それを発見したときだ。

つづく。

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不安の書

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