左耳の三つのピアスには笑えないエピソード

anond.hatelabo.jp

こんなエントリーを読んだ。おれは左耳に三つの穴を開けている。耳たぶに一つ、軟骨部分(アウターコンク? ヘリックス?)に二つ。

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これには笑えるエピソードはない。かといって笑えないエピソードもない。とくになにもない。

ただ、たまには思い出話をしよう。前にしたことがある可能性は大きいが、年寄りは同じ話を何度もする。

まず、耳たぶに穴を開けたとき。これは……ひきこもりのニートをやめて、働き始めたときだった。「逆じゃないの?」と言われそうだが、そうなのである。しかも、会社で上司にピアッサー(ばっちんとなるやつ)で開けてもらった。

これは、おれは人生のちゃんとしたルート、すなわち大学を出て、就職するという道から外れてしまったという証のつもりで開けたのである。

出会う人、見知らぬ人に「おれはドロップアウトした、あなたたちとは違う底辺ですよ」というサインを送らなければいけない、と思ったのである。

そして、そのサインは同時に、自分への戒めでもある。「まかり間違ってもまっとうな生活を送れるようになるとは思うなよ」、これである。もう戻る道はないのだという諦念を刻みつけたのである。

残りの二つは……バランス? なにか片耳の耳たぶだけでは、物足りないというか、戒めが足りないような気がしてしょうがなかったからである。

よくわからないが、そういう気持ちになるものである。両耳、というのはなんか違う感じがした。片耳にもう一つ。今度は軟骨用のピアッサーで自分でばっちんした。最初に開けてから十年くらい経っていたかもしれない。

すると、やはりなにか物足りない感じになってくる。なんか、二つというのは寂しい。というわけで、もう一つばっちんした。この最後の一発はばっちんに失敗して、自分の指の力でメキメキ言わせながら押し込むことになった。その成果、おかしな方向にトンネルができてしまった。だから、こっちのピアスが外れると、再度入れるのが大変面倒である。軟骨の二つは、よほどのことがない限りつけっぱなしである。

三つとなったらなったで、また開けたくなるのでは? と思う人もいるかもしれない。それはない。なぜかわからないが、おれは今のバランスにすばらしい安定を感じていて、もう増やそうという気はない。

ただ、嘘ではないが、「次に入れるとしたら舌だな」と思ったことはある。だって、「んん〜?」とか言いながら舌を出したらでかいピアスっておもしろそうじゃない(そのあと、主人公のアッパーが顎に炸裂し、舌から血を吹き出しながら「プギャー!」とかいってのたうち回る)? が、調べてみると、なにやら衛生管理が耳などより非常に面倒そうだし、なにより痛そうだ。奥歯の隙間に食べ物が引っかかるように、ピアスになにか引っかかったりするのも嫌な感じだ。おれは舌ピアスをあきらめた。

というわけで、おれは非常に真面目なおっさんなのに(そうだろうか?)、三つのピアス付きで生きている。これは他者へのサインであり、おれへの戒めである。とはいえ、おれはもう四十代である。若者から「信用するな」とされる歳である。いやいや、おれはピアスなんぞしている以上、他人から「信用するな」と思われるわけであり、それは望むところであった。もし生きられたとして五十代、六十代、オールド・パンクになるまでつけてやろう。ただ、経済的にパンク気味だが、生き方にパンクさはない。

 

 

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