おれが読めなかった小説、たとえば『地図になかった世界』

おれは読んだ本についてこの日記に書きつけていることにしている。読んだ本、読了した本だ。その背後には、読みさしで放置された本、期限が来て図書館に返却された本が、わりと、たくさん、ある。

「今はなんか気分が向かないな」というのもあるし、「おれには難しくて無理だ」というものもある。「難しくて無理」には理系的な本もあれば、小説、ということもある。

地図になかった世界 (エクス・リブリス)

地図になかった世界 (エクス・リブリス)

 

最近ではこの『地図になかった世界』である。図書館で、タイトルは忘れたけど気になった本をとって、解説だったか、訳者あとがきだかを読んでみたら、「自分が知る限り20世紀最高のアメリカ小説は『地図になかった世界』だ」というようなことから始まっていた。その小説が『地図になかった世界』の影響を受けた、という話なのだけれど、そんなん言われたら、そっちが気になるだろ。ちなみに、そんなん言ったのは柴田元幸

というわけで、本棚を移動したらあったので借りた。

どんな話か? Amazonから紹介文を引用する。

柴田元幸氏推薦! 文学賞独占の歴史長篇》

本書は、ピュリツァー賞、全米批評家協会賞、国際IMPACダブリン文学賞など主要文学賞を独占したほか、全米各紙誌の年間最優秀図書に選出され、世界的な注目を浴びた作家による歴史長篇だ。
舞台は南北戦争以前のヴァージニア州マンチェスター郡。黒人の農場主ヘンリーはかつて、郡一番の名士であるロビンズに、両親とともに所有される奴隷だった。少年の頃、ロビンズの馬丁として献身的な働きをしたヘンリーは、いつしかロビンズから実の息子とも変わらないほどの愛情を受けるようになる。ヘンリーの父オーガスタスは、金をこつこつと貯め、苦労して一家全員の自由を買い取ったが、大人になったヘンリーは、みずから黒人奴隷のモーゼズを購入することで両親と決別してしまう。だがそのとき、大農園の主となったヘンリーが急逝する。若き妻ひとりと数十名の奴隷たちが残された農園のなか、「主人」と「奴隷」の関係にしだいに波紋が生じはじめる......。
柴田元幸氏の推薦文を引く。「旧約聖書のように壮大な、人びとの喜怒哀楽が静かに詰まった、奇跡のような広がりをたたえた物語。アメリカの黒人の歴史、奴隷制の悲惨、そういうことに興味がない人でも、この物語には心を打たれると思う」

正直に言うと、おれはそのころのアメリカの知識はないし(おれに知識があるといえる時代と国があるだろうか?)、実のところ興味もない。だが、だれかがすごく褒めている(賞をとっている)本ならば、なにかしら読みどころがあるはずだ。そう思った。

思ったが、おれはうまく南北戦争以前のアメリカを思い描くことができなかった。知識がないからだ。さらに、自由黒人、黒人奴隷の立場や白人との関係も描けなかった。あるいは、読むことによって思い描けるようになるのかもしれない。が、その前におれは挫折した。

どのあたりがおれに無理だったのか。まずはともかく、「その世界」の輪郭すらつかめなかったところにある。そして、登場人物の多さに負けた。登場人物一覧のようなものもあるのだが、それを見てもだめだった。人物像を結ぶことができなかった。個々の人物のエピソードを自由自在に、時代をも無視して入れてくるテクニックも、かえっておれにとってむずかしいものになった。

それでも、いつか乗れるかな? と思って1/3くらいまで読んだが、やはり乗れない。おれはとりあえず、今はこの本をあきらめた。たとえば、おれはその時代も国もよくわからず、登場人物のむちゃくちゃ多い『百年の孤独』は読めた。今回は無理だった。なにが違うのか。うまく説明はできない。

たまには、いや、往々にして、こういうこともある。ただ、それだけの話。

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百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)