いずれにせよ世界は悲しいんだ

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「ド、ド、ド、ファ、ミ、ミ、ド、レ、レ、ド」

「こないだ夜おそくに牛丼屋に行ったんだ。店員が3人いて、客はおれひとりだった。おれが注文を待っていたら、客がひとり入ってきた。ところが、そいつは客じゃなかったんだ」

「ミ、ファ、レ、ファ、レ、ド、ド、シ、ド、シ」

「背中に正方体……正方体なんて言葉あったかな? ともかく、真四角の箱を背負ったやつがスタスタ厨房の方に行った。ウーバーイーツ? 違うかな。箱の色は真っ黒だったから、べつの業者だと思う。用意されていたビニール袋があって、それを箱に入れたのだっけ、そこは見てないんだ」

「ド、レ、ファ、ソ、ド、ファ、ド、ファ、レ、ミ、ミ」

「こんな真夜中に、自分で牛丼屋に行くのは面倒だけど、牛丼が食いたくて、それを携帯端末一つでだれかに運ばせる世の中ってわけだ。客と配達人と店で三方得……三方得なんて言葉あったかな? ともかく、世の中には潜在的に、真夜中に、自分で牛丼屋に行くのは面倒だけど、牛丼が食いたくて、そのためにいくらかの配達料をいとわないやつと、いくらかの配達料で牛丼を運ぶやつと、真夜中でも営業している牛丼屋があったんだ。牛丼屋は営業してたから潜在的でもないのかな」

「ファ、ファ、ソ、ファ、レ、ド、ド、ド、レ、ド、ファ、ソ」

「そういえば、上級国民とかいう言葉を目にするようになったね。上流じゃないんだ、上級なんだ。もう、流れでつながっていないのかもしれないね。そこには断絶があって、等級別の世界がある。流れはない、固定がある。でも、固定なら固定で、下等国民が下等に生きていける社会なら、もうそれでいいと思うんだよ。生まれた環境の幸不幸、個体としての性能の幸不幸、そういったものは即座に判断される時代がくるだろうな。AIが、AIがさ、環境の情報と個体の……遺伝子とかを検査してさ。でも、上級と下等だけじゃ大雑把すぎる。何段階くらい用意すればいいかな」

「ミ、ファ、ファ、ソ、ミ、ファ、ソ」

「十段階では足りないか。よくわからないね。ともかく、下等国民はそうたいした技能も努力もいらない、簡単な仕事をして、安い飯を食える、そうやって安定しているなら、それは大安心じゃないのか。大きな責任を負って、大きな仕事をして、失敗してすべてを失う怖さに比べたら。でも、大きな失敗したら地獄に逆落としになるようなやつは、上級じゃないのだろうね。本当の上級は、たいした技能も努力もいらない、簡単な仕事をして、高い飯を食えるやつらなんだろうね。どこにいるのだろう。そこで、ポルシェを運転していた女は、上級国民なんだろうかね」

「ソ、ド、ソ、ド、ファ、ファ、ミ、ソ、ド、ド、ミ、ファ、ソ」

「もう疲れてしまったのだけれど、クライアントの公務員は、もう限界を突破しているね。疲れすぎて、自分の名前すらろくに言えなくなってる。なのにハイテンションだ。ハイテンションパルだ。あれは過労死する。付き合っていたらやっていけないな。やっぱりぼくは下等の階級でいいな」

「ミ、ド、ミ、ド、ファ、ファ、ファ、シ、ド」

「ぼくがしたいのは、どんぐりを拾う仕事なんだ。森でどんぐりを拾うんだ。夕方になって、日が落ちたら、集めたどんぐりの袋を渡すんだ。そうすると、パンとスープがもらえるんだ。そんな人生を送りたかった。なんでぼくは、そうやって生きられないのだろう。労働なんてものが、貨幣なんてものが、どうして、世界に生まれてしまったのだろう。だれが幸福になって、だれが不幸になった。どれだけの人間が幸福になって、どれだけの人間が不幸になった。世界の幸不幸の秤は、デニソワ人が生きていたころから、どんな変化をしたんだろう」

「ミ、ミ、ミ、ド、ソ、ド、ソ、ファ、ミ、ミ、レ、レ」

「結局は死んでいくのだし、悲しい思いはしたくない、辛い思いはしたくない、安楽、安楽だけがほしい。安心だ、安心がほしい。さっき、コンビニのレジで、小銭を一枚一枚取り出して、ようやく支払いを終わらせた老人が、肝心の品物をレジに置き忘れて立ち去ろうとしたんだ。外ではたくさんのゴミを積んだ自転車の脇で、その持ち主が、古い携帯ラジオのスイッチを入れたり、切ったり、ダイヤルを回したりしているんだ。電池が切れちまったのか、壊れちまったのか、おれにはわからないな。ただ、ラジオが聞けなくなったら、あの年寄りは世界とのつながりをひとつ失うんだ。もう、どこにもつながっていないかもしれない」

「ファ、ミ、ファ、ファ、ファ、ド、ファ、ド、レ、ミ、ファ、レ」

「いずれにせよ世界は悲しいんだ」