本書の「正伝」は、言うまでもなく『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』である。『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』は、おれが「なにか本を十冊選べ」と言われたら、確実に入ってくる一冊といっていい。
もっとも、おれは柔道の経験も無いし、格闘技の経験もない、観る人間としても一時のテレビ地上波でのK-1、総合格闘技ブームに乗っかったていどである。
なのになぜ、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』がこんなにもおれの心を打つのか。
結論から言ってしまえば、書いた人間の魂と、書かれた人間の魂が入っているからである。もちろん、男の子が大好きな「最強幻想」みたいなものも入っているし、そもそも現代の日本柔道とはなにか、という歴史の流れもおもしろい。もちろん、作者ですら想定しなかったような着地点というものもある。でも、結局のところ、この本に注ぎ込まれた魂というところに行き着くと思う。おれはスピリチュアルな人間なのである。
で、話を本書、『外伝』の方に移そう。これは、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』連載中に行われた対談や、収録されなかった記事を集めたものである。著者によれば副読本でなく、完全コンプリート、だそうだ。
と、ここまで読んだあなた、もしも『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』を読んでいないのだとしたら、今すぐ読むべきだ。こんな文字列を読むべきではない。
……よし、読んだか?
じゃあ、『外伝』を読め。
話はそれで終わりだ。
というのもなんだから、『外伝』からいくつか話を引く。
私は何度も編集部に連載休止を申し出た。
「こんな救いのない物語、誰も読んでくれません。誰に向けて書いたらいいんですか。誰も救われないじゃないですか」
電話で泣きながら訴えた。
編集長を電話の向こうで泣いていた。
「僕を救ってください。少なくとも僕ひとりは救われる。僕に向かって書いて、僕を救ってください」
こんなことが何度もあった。
そんな激情が綴られた連載を読んでいた読者も共に泣いてくれた。
プロローグにある。これが、吉田豪との対談ではこんな風にも語られている。
増田 もう泣いちゃって書けなくなるんです。木村先生が力道山に負けちゃった回があったじゃないですか。あの時も編集長に何回も電話して泣きながら「僕もう書けません!」って言ったんです。なのに、「ある格闘家が『木村がテイクダウンできなかったことについて厳しく書いてくれ』って言ってましたよ」とかプレッシャーをかけてくるんですよ。それで泣きながら『木村政彦が本気だったなら、ガウンを脱いだ瞬間にそれを力道山の頭から被せ、リング下からパイプ椅子を持ってきてボコ殴りにしただろう』って書いた原稿を送ったら、「増田さん、冷静になってくださいって!」って(笑)。
吉田 ダハハ! 入り込み過ぎちゃった(笑)。「僕が木村先生を守らねば!」って。
して、その正伝でも最大の焦点である「木村政彦対力道山」戦。おれは「正伝」を読んだとき、どうしてもその映像を見ることができなかった。見たくなかった。著者の、あるいはさまざまな柔道家、格闘家の解説を読んで、それで、映像は見たくなかった。
が、今回、とうとう見た、ついさっき見た。初めて見た。想像以上に力道山はでかく、強そうだった。さすがの木村政彦も、油断しているところに一撃を食らったら……脳震盪くらいおこすだろう。その後に行われるのは暴力であった。
暴力、といったが、おれはあまり否定的な意味で使ったわけではなく……。やはり、プロレスというショーに上がったところで、そこは肉体を鍛え上げた人間の相対する場でもあって、やはりなあ……という。複雑な気持ち。
増田 ……優しい岩釣先生が1回だけ声を荒げたことがあったんです。それが木村vs力道山戦を見てもらった時なんです。真っ青になって『巻き戻せ!」と。巻き戻して何回も何回も見て、目を潤ませて頭を抱えて。すごいショックを受けてました。
「正伝」の前半を読んで、本当に超人的な(そして、おそらくほとんど盛られていない) 木村政彦を読んだ人間にとって、なぜ力道山に負けてしまうのか、ボコられてしまうのか、というのはやはりひとつの衝撃なのである。
もちろん、その衝撃は木村本人にも深い傷を残した。力道山を殺そうと、短刀を懐に、あるいはピストル(!)まで用意していたというから本物である。その本物の思いは、増田俊也が木村政彦を書くきっかけにもなった、猪瀬直樹の取材で語られている。『欲望のメディア』から孫引きする。
僕(引用者注:猪瀬直樹)は木村に会ってみたくなった。
幾度も断られ、一年後にようやく取材を許された。
「どうしてもというなら、これだけ伝えよう。あれはどちらが勝っても事件になるので、引き分けと話がついていたんだ。私が勝てばリングサイドの奴らに必ず殺された。試合後、熊本の連中がダイナマイトを持ってトラックで駆けつけると電話してきたが、私は制した。股間を蹴るふりは反則したぞという合図。つぎに空手チョップを受けやすく身体を開いた、とたんに本気の空手が入ったんですから、たまりませんよ」
騙されたんですね、とたたみかけた。
「いや、そんなことではない。ああいう卑怯なことをしたので、報復した。彼は命を落とした」
どういう意味か。
「私が座禅を組んで念をかけた。すぐには死ななかったが、十年後に死んだ」
七十二歳の木村は、力道山の不慮の死を、そう理解していた。
そして、これには猪瀬が書かなかった続きがあった。「枯れない殺意」では続きを書いた。
「ここですよ」
と木村は額を指さした。僕は意味がわからなかった。
「ここに“殺”と書いたんです」
書く、ああ、イメージで前頭葉のあたりに字を書いたわけですね。
「そうだ」
そんなことをしたって人は死にません。
「いや、死ぬんだ」
念力ですか。納得できませんね。
「あんたについても“殺”を描こうか」
そして、増田はこう述べる。
増田 猪瀬さんは「枯れない殺意」で「木村は誇り高き勝負師だった。たった一度の過ちが彼の後半生を台無しにしたはずだが、世間が何をどういおうと、力道山を自分で始末したのである」と書かれていて、その乾坤一擲の文章が、僕の書き手としての魂を揺さぶったんです。
もしも猪瀬直樹がそれを書かなかったら、偉大なる『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』が出てこなかったかもしれない。
……と、力道山戦の話ばかりになってしまった。
「外伝」ではまず「史上最強は誰だ?」という章から始まる。数々の柔道家の名が挙がる。そして、メーンに据えられるのは山下泰裕である。「柔道の山下」。子供心に、その名が刻まれている柔道家だ。本書を読んで、ここまで強かったのか、という思いを新たにした。
そして、最初に収められている対談の相手は、ヒクソン・グレイシー。
増田 ……もしヒクソンさんが木村先生の立場だったら、どう思いますか。
ヒクソン ありえない。
増田 ありえないとは?
ヒクソン 私をフェイクの舞台に上げることは誰もできない。どれほどの大金を積まれても私がフェイクのリングに上がることはありえない。
さらに、ミスター高橋や青木真也、岩釣兼生×石井慧、岡野功、堀越英範……。
あの小川直也と旗判定にまで持ち込んだ。
天才古賀稔彦を背負いで投げた。
これ以上、俺に何が必要なんだ。
そして、柔道と何か? これである。どうもわれわれ一般人や、あるいはオリンピックくらいでしか中継をしないメディアなどが言うところの「本来の日本柔道」、国際化で変容してしまった「JUDO」、などというものの見方が虚構にすぎない、ということ。すなわち、おそらくは大多数の日本人がぼんやり「日本の柔道」と思っているのは、「講道館柔道」であるということ。このあありは、高専柔道の流れをくむ柔道をしていた著者がテーマにしているところでもあるだろう。ヘーシンクの師匠は非・講道館であり、木村は「ヘーシンクの寝技は高専柔道の寝技だ」と言ったという。東京五輪での日本柔道の敗北は、巨体に屈したのではなく、高専柔道の寝技に敗れた、というのだ。寝技はグレイシー柔術にも伝わっているのだし、まあそのあたりの歴史は興味深い。
……しかし、なんで柔道に興味がない(オリンピックとかで放送されていれば見るけど)おれが、こんなに面白く感じられるのだろう。やはりどこかで薄く、浅くではあれ、格闘技好きなのかもしれない。そしてまた、木村政彦を東条英機暗殺の最終兵器として育てたのではないかと言われる牛島辰熊、木村を慕い、地下格闘技(!)で勝利する木村の弟子岩釣兼生、そんな漫画のような……、そんな世界、やはりしびれるじゃないか。まったく。なあ。
そんじゃ、動画とかWikipedia漁るので、このへんで。
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