金子光晴老境随想『自由について』を読む

 

おれには尊敬する詩人が何人かいる。とはいえ、詩作そのものにやられた、と思うのは田村隆一くらいのもので、ほかは随筆や小説によって尊敬することが多い(田村隆一は随筆もすばらしい)。

というわけで、ろくに詩は読んでいないののだけれど、その随筆によって多大なる影響を受けたのが金子光晴である。ランボーの「サンサシオン」の訳詩はほんとうに好きだけれど、「金子光晴といったら自伝三部作だろう」というおれなのである。

そのおれも、金子光晴すべてを読んでいたかというとそうでもない。そうでもないので、老境随想を読んだ。

金子光晴というのは、明治生まれにして、戦前のアジアを、ヨーロッパをさまよい、そこでなにかを得てきた人であって、その土台というものに、なんらかの信頼をおける。土台があって、ものを言っているという感じがする。とはいえ、「土台」だの「信頼」だのという言葉が似合う人間でもない。根無し草の感もある。むしろ、根無し草の人であろう。反対方向を向いたオットセイであろう。天の邪鬼であろう。だから、右にも批判的、左にも懐疑的というところに立っている。かといってアナーキストでもない。金子光晴は、そうやって、夜霧の中からひょいと顔を出して、煙草を一本ねだるような人なのだ。おれはそういう人物が好きだ。

そんな金子光晴の言葉には、どこかしら普遍性があるように思える。日本人論についても、「そうかもしれないな」と感じるところがある。

……歴史のはじまりから同一氏族に頭を抑えられ、釜のふたのあいたことのない民族は、王侯将相なんぞ種あらんやという異志をもつことはゆるされない。多くの世家は、日本人の奴隷性の上に鞏固な根をおろして、繁栄することができた。官僚的な儒教思想と、島国という地理的条件が、刀は鞘に、弓は弓袋に、おさまる御代のめでたさをたたえる、昌平三百年の稀有な封建国家の地がためをして、階級の差別が子々孫々永遠にゆるぐものともおもえないことになった。

階級意識

古代日本に大和朝廷の一極を見るのではなく、多極的なこの国の成り立ちを……という考えもあるだろうが、メインストリームはかくのごとし、という気はする。

 インディアンを蝿たたきでつぶす開拓民のヒューマニズムと、仲間をつぎつぎにギロチンにかけた野心家共のヒューマニズムとは、全く同じ、石と鉄のなかで生きてきた人間の思考の所産だ。植物的な日本人の胃袋が、どうやってそれを消化するか。過去のモラルをどうしばり首にできるか。若い世代はおそらく、事がそんなにたちいるときの、心の用意などないにちがいないし、若くない時代の人間たちは、知っていても、そんな問題は敬遠するだろう。ヒューマニズムは、いまの実用になればいいのだから、汚れていても、ほころびていても、利用するだけ得ちんというものだ。

ヒューマニズムについて」

あるいは、こんな物言い。これが書かれたのは昭和38年だ。そのときの若い世代は、いま何歳? わからないが、どうもこれも今に通じるかもしれない、などと思う。とはいえ、日本人が植物的かというと、どうかなという気もする。たとえば、新選組のような白色テロリストたちも、仲間をつぎつぎに切腹させていったのだし、連合赤軍はどうだったかという話である。

 日本人は正直で、勤勉で、なかなかすぐれた人間かもしれないが、すこし思案が足りないようにおもえてならない。明日の千両よりも、今日の十両という性質もあり、また、異常な緊張状態に置かれると、簡単に錯乱状態になる。昭和十二年冬、私が北支那の戦争をみにいったとき、そういう気の毒な兵隊さんに幾十人も会っている。そばにいるのも物騒な感じで早々引きあげてきたが、あれこそ「我戦争を見たり」であった。日本人の勇敢は、決して沈勇ではなく狂乱男といったものである。

「思案たりぬ日本人」

「見たり」と言われては、「話を盛っているのでは?」という疑問も弱くなる。「明日の千両よりも、今日の十両」というのは、進化心理学的に言って……というのも間違っているように思える。その時代を生きてきた人間の言うことは、それなりに正しい。そう思うおれは保守的なのだろうか、どうか。

いきなり話は変わるが、詩の話を引用する。

 しかし、詩のことばは、別になんの細工もケレンもなく、要は、その詩人の心情をあらわすのに一番適切なことばを、ふだんのことばのなかから、いみじくもさがしだすことのできる者が成功ということになる他は、他の意味はないわけである。そういう意味で、ことばの微妙なニュアンスを、心情のなかから発見しえた人は、やはり、萩原朔太郎と、日夏耿之介の二人であった。

「詩のことばを考える」

おれには詩がよくわからぬ。問答無用に詩にひっぱたかれたと思うのは田村隆一谷川俊太郎だけである。その時代の「ふだんのことば」と今の「ことば」は違うかもしれない。でも、田村隆一谷川俊太郎も「今」とは言いかねる。そういう意味で、おれは萩原朔太郎に(吉本隆明もさかんに論じていたような気もする)、そして日夏耿之介に向き合ってみるのも面白いかもしれない。

話をまたべつのところに飛ばそう。

 知り合いのお医者様のお坊ちゃんが、頭が飛びぬけてよく、小学校の五年生で、むかし大学で教えた高等数学をすらすら解くときいて吃驚したが、このごろではそれが異例なことではないと知らされて二度吃驚した。

 コンピュータの基礎学問として、その年齢からやらねば、間に合わないので、アメリカでは、小学教育としてそれをはじめているときいて、そんなものかとまたおどろいたが、生来鈍物の僕のような人間にはとても伍してゆけそうもないが、他人ごととしては、この時代はおもしろい時代である。明治以来、今日までの百年は、今日の十年にも相当しないテンポの早さである。

「つれづれ放言 おもしろい時代」

この「おもしろい時代」は昭和45年である。昨今、ようやくコンピュータの基礎学問を義務教育に取り入れるだの、それは無意味だのという論争があるが、そんな昔からやっていた話なのだ。明治と比べて1/10のテンポで進む昭和。令和ともなると、どれだけのスピードだろうか。いずれにせよ、算数もできない鈍物の時代遅れである自分には関係のない話である。そして、数学の素養なしに生まれてきてしまった現代の子供たちに、深く哀悼の意を表するしだいである。

 僕は、ヨーロッパからの帰途、出来そこないの詩のノート十冊を、おととい来いと、投げこんだ記憶がある。だが、そんな人を居ても立ってもいられなくする魔性のうつくしさよりも、もっとうつくしいものと、僕は、一つだけこの生涯でめぐりあった。それは、報償を求めないこころである。報償を考えないといっても、所謂慈善でもない。人に恵むこころでもない。人に恵むこころには、そのあと味のきたなさがあり、吐き捨てると、チウインガムのように、いやらしくへばりついて離れない。

「報償を求めない心」

でもって、アジア、ヨーロッパ放浪で出会った人々のうつくしいこころの話である。おれもよく覚えてないが、金子光晴はずいぶんと適当な絵などを売って、どうにか旅費を、生活費を稼いでいたように思える。高橋源一郎の小説のなかでは、煙草をせびる詩人として出てきたような(もっとも、高橋源一郎の書く「ミツハル」は井上光晴の場合もあるので注意が必要だ)、そういう金子光晴だ。反戦の詩人とかいうより、よっぽど「らしい」ぜ、と勝手に思う。おれは先に、土台があると書いたが、その土台のうえで自由闊達に言葉を紡ぎ、ときに天の邪鬼な、そんな金子光晴が、好きなのである。

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