おれは老害SF警察だった! 『彼方のアストラ』感想

ちょっと前からネット上というか、Twitter上で『彼方のアストラ』が話題になっていた。薄目で見てみると、どうも「SF警察」などという単語が見える。ということは、『彼方のアストラ』が「SFかどうか?」的な話のようだ。そのうえで、「それじゃあ新しくファンになりそうな人になにを勧める?」みたいな話も始まっている。

ちょっと待ってくれ、と言いたくなった。

せめて今やってるテレビが終わってからそういう話しようぜ、と。だって、原作完結しちゃってるんだから、どういうネタバレを食らうかわかったもんじゃない。おれは毎週楽しみに『彼方のアストラ』見てるんだ。ここまで来てネタバレ食うかよ、と。

……で、最終回の一時間スペシャル見た。あー終わったー。

というわけで、以下はネタバレぶっこんだ感想書きます。

 

 

まず、ことの発端? になった次の記事を読んだ。

togetter.com

そして、まず、ことの発端となったまとめの発端となった「低評価レビュー」を読んだわけだが。

「あ、おれ、この低評価さんと同じようなこと言ってたじゃん」と思うた。アニメ三話まで見てこんなことを書いた。

goldhead.hatenablog.com

ハードSFに徹してもいいシチュエーションだが、やはりキャラが立っているのに越したことはない。その意味で、いつまでたっても諍いが収まらずリーダーが決まらないとか、かといってあっさり決まりすぎてもつまらないとか、そのあたりのスピード調整のバランス感がいい。各キャラについてもやがて掘り下げられていくのだろうが、いろいろありそうで楽しみだ。

と、褒めておいて、こんなことを書く。

……と褒めておいて落とすのもなんだけど、一個だけ疑問があるんだよ。それは、「アストラ号」をなんでもっと調べないんだよ? ということだ。五千光年飛ばされて、たまたまそこにあった宇宙船。やけにあっさり乗りこなすということは、地球人のフォーマットに則った船なのだろう。地球の言葉すら書いてある。メガネの人が自分データをモニタに表示させていることから、インターフェースも彼らと同時代的なものだろう。それはいいんだ。それはいいにしたって、なんで「アストラ号」探索をしないのだ。なぜ無人なのか。備蓄食料はないのか。人の痕跡はないのか。また、船のシステムが生きているなら、そこに至るまでの航路の記録など残っていないのか。気になることがたくさんあるじゃないか。むしろ、「アストラ号」探索で一話使ってもいいくらいじゃないか。それが漂流ものの見せ場の一つじゃないのか、とすら思うのだが。

で、でた、これが老害SF警察そのもの、そうじゃないのか! これについていくつか考察みたいなものを書いているが、一つ当たっているようだった。

だが、しかし、だ。そうなった理由があるかもしれない。「話のスピード感出すためにカット」、「原作ではあったけどアニメは尺の都合でカット」とかいう現実的な理由を除けば……。

いや、その、現実的な理由だったようで。

現実、という言い方はおかしいか。作劇の手法、いや、作品の目的といったほうがいいのか。おれはアストラ号を隅々まで調べたら面白いんじゃないかと思ったけど、作者がそんなん描きたくない、もっと面白い方へ話を加速させるんだ! となれば、価値観の違いだろう。

あとはまあ、あれだ、あんまりアストラ号を隅々まで調べてしまって、それこそどこから来た船かなんて話になってしまうと、後半のどんでん返しの一つを潰しちまうし。

フィクション、いや、あらゆる表現において「細けえことはいいんだよ」というのは存在するのだろうし、まったくそれがないとなると、それはかなりまた、なんだろう、ちょっと想像がつかないけれど、まあそういう作品もあるのだろうし、そのように見せる完璧っぽさが評価される作品もあるのだろう。

ただ、『彼方のアストラ』は完璧方面を目指してはいなかった。すべて見終えてそれはわかった。乗組員の若者たちの結束、友情、冒険……そういった、なにかワクワクさせるところに魅力がある。そこに、彼らの出自と、さらには人類史のトリック(ちょっと『進撃の巨人』みてえだな、とは思ったけれど)という二つの仕掛けをバーンとぶちこんできたのだから、いいじゃないか。

いや、正直、ミステリーとして楽しめる、という意見にもうなずけるか。死体解剖されて、クローンであることがバレたらいけない。死体は絶対に出てきてはいけない。そこで、というわけだ。もっとも、宇宙空間で船を爆発させたらまず死体出てこないよな……あ、ミステリ警察ですか、すみません。

というわけで、たぶん大人になってからSF小説を読み始めたおれは立派な老害であることを自覚した。一方で、楽しんで見られたのだから、まだ若いところもあると思いたい。

というか、おれのSF史ってなんだろうって思ったら、やっぱり母親の持っていた萩尾望都かな。いや、母はあまり萩尾望都のSFを持っていなくて、萩尾望都ファンになったおれが買って読んだのが出会いだったろうかな。もちろん、小さな頃からドラえもんとか読んでいたわけだけれど、『ドラえもん!』と言えないあたりがおれの趣味か。

で、小説となると、大人になってからで、まだ2chもないころのアングラ掲示板でフィリップ・K・ディックという名前を知り、ブックオフかどこかで買った『ザップ・ガン』が最初だ。

……ハヤカワはよくこれの新装版を出したな、というような作品で、短編、中編の隠れた名手であり、長編になるとたまに大ゴケするP.K.Dのコケ側の作品だった。何度も書いてきたことだが、よくぞおれはこの『ザップ・ガン』からSFに入れたな、と思う。その次に読んだのがカート・ヴォネガットの『チャンピオンたちの朝食』である。

チャンピオンたちの朝食

チャンピオンたちの朝食

 

これは掛け値なしの名作といえるが、「SFの名作?」と言われるとやや言葉に詰まる。

まあ、そんなわけで、おれは適当なところから(いや、萩尾望都のSFはどれもすばらしいが)SF読むようになったので、べつに人間、なんかのジャンルとの出会いなんてほんとうに偶然よな。

というわけで、新しくSFに興味を持った人に勧める(って、なんという上から目線なのだろうかと思うのだが)としたら、『ザップ・ガン』と『チャンピオンたちの朝食』でいいだろ。だめ? そんじゃ、こないだ読んだケン・リュウの短編集『紙の動物園』か、中国SFアンソロジー勧めとくわ。え、今は中国SFがすごいから? 知らんよ、たんに最近読んだというだけ。ただ、『三体』ブームで、一緒になって本屋でたくさん並んでるのは見た。あ、おれ、SFの手がかりとして、「ヒューゴー賞」か「ネビュラ賞」って書いてあると外れが少ないのではないかって最初のころ、いや、今でもそれで本選んだりしてたっけな。

goldhead.hatenablog.com

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ああ、でもなんだ、ここ数年となると、これよな。

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「初心者にいきなりこの大長編を?」とかは思わない。面白くて、突き抜けてるもんは、初心者だろうがなんだろうが突き抜くからだ。まあ、読書の習慣がまったくない、と言われるとやや辛いが。でも、『天冥の標』はSFのジャンルの、あるいは宇宙の、いろいろの生命を、場面を、あっちに行ったりこっちに行ったりしながら、それでも猛スピードの面白さで駆け抜けていく、短距離走のマラソンであり、なおかつそれが一つに収束していくところは、これはもう参るぜ。

……ああ、話が逸れた。すまん。『彼方のアストラ』、大団円、これもよかった。欲張っちゃうと、本星帰還時に、クローン元たちによるなんらかの策謀、攻撃が……って、また老害出ちゃったよ。そんなどろどろはあまり作風でない。スカッと行く。それもよし、だ。すべてよし、だ。うん。それじゃあ。