いろいろ飲みたくなるぜ 『精神科のくすりを語ろう』を読む

 

精神科のくすりを語ろう 患者からみた官能的評価ハンドブック

精神科のくすりを語ろう 患者からみた官能的評価ハンドブック

 
精神科のくすりを語ろう・その2  患者による官能的評価の新たな展開
 

おれは薬が好きである。十代の頃に読んだ『人格改造マニュアル』のせいだろうか、『GON!』あたりの影響だろうか、いずれにせよ薬を飲めばおれが嫌うおれという人間がどうにか変われるのではないかという望みがあった。

……あった、というのは過去形になる。おれは精神科に通い、向精神薬を処方され、それを飲み、おれというおれは変わらないなと思ってしまっている。精神科医も言ったものである。「薬で性格は変わらないよ」と。

とはいえ、おれは薬が好きで、薬の話も好きだ。ネットでもたまに薬の名前(とくに自分の服用している薬)で検索して、ほかのだれかがどんなふうに感じているかを調べたりしている。

で、この本、この二冊だ。これはわりとおれがしていることに近い。精神科医である著者が主宰しているネット掲示板への書き込みと、クライアントへのアンケートから、薬についての「官能的評価」を集めたものだからだ。そして、それに対する専門家、精神科医の著者からの解説がついている。ひとつ信頼がおけるものであろうし、くすり話の好きなおれにとっても面白い読み物といえる。

しかし、たとえばおれが処方されている中長期型の抗不安剤であるメイラックス(ロフラゼプ酸エチル)の項にはこんな記述がある。

薬物療法における精神療法”とはすなわち、プラセボ効果を積極的に評価し、有効利用するということです。私は、薬から良性のプラセボ効果を引き出せる人は、治療力のある精神科医だと思うのである。

と、いきなり薬物療法を否定ではないけれども、半ば否定するような物言いである。が、これはおれが思っていることでもある。

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 しかし私自身は、自分の病気がプラセボ効果で治るならそれが最高だと考えています。

 著者こう言う。おれもそう思う。これは疑似科学につながりかねない危うい部分を含むが、そうであると感じる。プラセボは、種明かしのあとも持続する。大学の認知心理学の講義でそう習った。

このあたりはなんとも微妙な話だけれど、おれは薬物とその治療に絶対の信頼を置いている……一方で、その信頼によるプラセボ効果というものも信じることにしているのである。薬理学的な効果と精神療法的効果で二倍、一粒で二度おいしい、悪くない。だから、この本でもおれはおれが飲んだことのない薬についての悪い評価(副作用など)をあまり読み込まないようにした。薬飲んでハッピーの方の話ばかりを読むようにした。その結果が、このエントリーのタイトルである「いろいろ飲みたくなるぜ」なのである。

……ということは、現状のおれは薬物療法でよくなっていないということであろうか。これも半分正解、半分不正解といったところか。おれは薬によって最低最悪の、体が動かなくなるような抑うつ、倦怠から逃れ、希死念慮も隅に押しやることができているが、それでも健常者のベリーベリナイスな状態には遠く及ばないと思っている。「普通の人が普通に幸福に感じている」という状態。おれが望んでも得られないもの、それが普通だ。おれの人生は苦痛だ。

できるだけ普通に、というために必要なのはきちんとした睡眠だ。おれは精神的な病とともに、睡眠時無呼吸症候群を患っている。おれは太っているわけではないが、顎が小さい。痩せていても睡眠時無呼吸症候群の可能性はある。それを知って帰ってください。それはそうと、睡眠のために処方されているのがアモバン(ゾピクロン)だ。

アモバンは、ハルシオンと並ぶ超短期型入眠導入剤です。ともかく、キレがよい。そのため、なかなか人気のある薬です。

この本でも、薬の評価に「切れ味」という表現がよく見られる。必ずしも切れ味がよければいいというわけでもない。ハルシオンなども、切れ味はいいが、いろいろの乱用などもあって、もうとっくに過去の薬となっている。おれは同じく超短期型のマイスリーも処方されていたが、途中から「異常行動などが少ないから」という理由でアモバンに切り替えられた。どうも、マイスリーにも脱法ドラッグ的な使い方もあるようだが、よう知らん。

で、アモバンといえば苦味で、それについても記載がある。それは当然だろう。で、やはり超短期型であって、スッと眠りに入れるときは早い。が、一度そのタイミングを逃すともう終わり、だんだんと眠くなるということもない。その場合、もう一錠ということになるが、薬は日数分だけ処方されているので、休日前に飲まないとしてもやや残弾が気になりもする。そうなると、「超短期以外で……」と思ったりもするが、おれは一応サラリーマンであるため、日中に眠気を引きずるのもよくない。そのあたり、お試してき処方はできないものだろうか。今度相談してみるか。

とはいえ、おれの主治医は「病名をあまりつけたくない」、「薬の種類を減らしたい」、「薬の量を減らしたい」というタイプである。それはそれで多剤多量処方の問題とは真逆であって信頼できるわけだが、薬を増やしたいという思いについては都合が悪くもある。

あと、『その1』では……ドグマチール、これは女が胃薬として処方されたことがあって(略)なのは確かだ。ほか、デパスパキシルなどメジャー(メジャートランキライザーという意味ではなく)な薬が紹介されている。

で、『その2』。こちらではおれが絶大なる信頼を置くジプレキサ(オランザピン)が紹介されている。患者さんたちの副作用の悪い面としては、ともかく過食が挙げられている。おれはどうだったか。よく覚えていない。というか、糖尿病禁忌というおそろしさから、おれは精神力で血糖値が上がらない食事を心がけている。それだけジプレキサに依存しているともいえる。熊木徹夫医師もジプレキサをわりと評価しているようだ。

 先述のようにジプレキサは、過食症と言えど、患者さんによっては劇的に過食嘔吐を抑制することもあるわけですから、なんとも不思議な話です。

 いずれにせよ、ジプレキサは何かすごい突破力を秘めているようです。

 とか。

 私は、自己省察が可能な統合失調症患者さんに薬物治療を施す場合、ただ考えることの苦しみから解放する(鋭敏な思考を鈍麻させる)ことを狙うのではなく、せっかくある内省力が死なず、のびやかな思考ができるようにする、そして、ひいては柔らかな微笑みをたたえるようになれることを目指しています。もちろん、いつもうまくいくわけではありませんが、ピタリとはまったときのジプレキサは、本当にそのような薬効を発揮します。

 いかに過食や高血糖になるリスクが高くなろうと、この薬物を使わずにおれないのは、治療がうまくいったときの感触に、他剤では得られぬものがあるからです。

とか。おれはちょっと前に、医師から「どの薬が一番重要だと思うか」と問われたことがあって、おれは間髪入れず「ジプレキサです」と答えたものだ。おれの主治医も「他剤では得られぬもの」を得たと感じているのだろうか。まあ、そんなこと聞きはしないが。ついでに言えば、本書でも紹介されている「カリフォルニア・ロケット」とか試したいんですけど、とかも言えないけれど。

そうだ、相談といえば、「歯ぎしり」のことがあった。歯ぎしり、歯のくいしばり、コツコツと接触させる症状。これは、去年の秋にセロクエル切り替えに失敗してひどい抑うつになったあと、躁転して現れてそのまま癖になったものだが、これは厄介だ。これについて、精神科医にも歯科医にも聞いたが、「注意するしかないです」みたいな答えしか得られなかった。本書ではセパゾン(クロキサゾラム)の項で触れられている。

 では、精神科で行える治療とは何なのでしょうか。歯ぎしりは、不安状態を体現するものであり、ひとたび歯ぎしりをするようになると、不安感が体現され、いわば「歯ぎしり中毒」といった嗜癖になるものと考えられます。この症状が症状を呼んでいるという悪の連鎖を断ち切らなくてはなりません。

これである。歯を連続的にコツコツやるのは「TCH(tooth contacting habit:歯列接触癖)」というらしい。いま、これを打ちながら、おれの歯がコツコツ打ってる音が聞こえるだろうか。もし聞こえるなら、それは病気なので精神科への受診をおすすめする。熊木医師によればセパゾンの就寝前投与を行うと、かなりの確率で歯ぎしりが消退します」という。でも、なんだろうか、「本で読んだのセパゾンよこせ」とはなかなか言いにくいものでして。ベンゾジアゼピン系も増やして、続けるのもよくないいう風潮らしいし。かといって、「レキソタンやめるかわりに」とか専門医に言うのも一精神障害者としてはやっぱり言いにくいよな。

とまあ、いろいろの薬についての話はおしまいにして、著者が本書の意義について述べたことについて。『その1』(厳密には『その1』ではないけれど、レトロニム的に)の序章で述べられているこれ。「隠れた目論見」だけれど。

 さらに提言しておきたいのですが、本書の隠れた目論見は、今や“絶滅危惧種”になってしまった数多くの精神科薬物についてのコンセンサスを再生させることで、これらの薬を救済し、各々の精神科薬物が担ってきた治療文化を根絶やしにしないことにあります。おおげさに聞こえるかもしれませんが、これは今いる精神科医の社会使命だと私は考えています。

 「今よく使われている薬こそが最良であって、滅びゆく薬は自然に淘汰されるのだから仕方ない」との考えは、精神科薬物には当てはまりません。

これである。『その2』のコントミンクロルプロマジン)という「抗精神病薬としてはじめて用いられた薬物」の項でも同じようなことが述べられている。

ここからはおれの拙い知識によるものだが、抗うつ剤SSRIにせよ、セロトニン「仮説」によるもので、大うつ病性障害の機序が完全に明らかになっているわけではない。おれが患っていると診断されている双極性障害についても、専門にしている加藤忠史医師などが、機序が明らかでないと著書で何度も述べている。

機序があきらかになったら、それは精神科という分野から別のところ(脳神経外科とか? あるいは内科かもしれない)に移るという。しかし、まだなんだかわかってない精神病というものについては、なんだかわかってないけど効きそうという、ある意味で原始的な薬物治療しかない。そういう意味で、ダーティな(非合法薬物という意味でなく、MARTA的な意味で)薬、漢方薬、あるいはプラセボの価値というものもあるだろう。本書にあるように、同じような症状の患者さんでも、ある薬が救いになったり、逆にひどい副作用で最悪の気分になったりするものである。非常にやっかいだ。やっかいだが、ともかくいろいろの声がある。それを書き留めたところに本書の意義がある。そしておれも、おれの精神病についてブログに書き、飲んだ薬について書くところに、わずかでも意義があればいいと思っている。そんなところ。

 

以上。

 

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本書の「薬を出す側が語ってる」バージョン。