ジャンケンで負けたほうが親父の始末をしよう

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どうも父が発狂してどうにもならないようである。酒も入って止められないという。母への嫌がらせ、DVに近いものも止まらない。

このような、だれにも生きることを望まれていない上に、他人に害をなす人間を始末することは、はたして悪いことだろうか。それが他人によるものならともかく、その子供によるものならば、べつに悪くないだろう。

悪くない、といっても、法廷で無罪を主張するというわけではない。人間のいろいろな好き嫌い、善悪の感覚、そんなものをとりあえずまとめてみた法律というもので、刑を宣告されるのは当たり前のことだ。

ただ、法律というものの背後にある、もっと原初的なものからして、気が狂ってしまった親を処断するというのは、べつに悪いという感覚は、おれにはない。そのような人間から生まれてしまった人間として、せめて第三者に害をなす前にことを終わらせるのは、善行とまでは言えないまでも、責任をもって始末した、とは言えないだろうか。頼んで生まれてきたわけでもない。子は親を害してもいいのではないか。

おれはすんなりとそのように思うが、弟がどう考えているかわからない。弟は弟で自分の手で始末したいと思っているかもしれない。が、それはどうも、ニートでありながら母を支え、父の暴力を任せきってきた彼に任せすぎのような気もする。おれにもこのような親を放っておいた責任というものもあるだろう。

だから、おれは近いうちに弟とジャンケンをする。負けたほうが親父の始末をする。それでどうだろうか。悪くない。あるいは勝った方が。

人間を作るべきでない人間が、間違って子供など作ってしまう。その悲劇は筆舌に尽くしがたい。そのようなことは繰り返されるべきではない。このような不幸を避けるためにも、シオランでも読んで、反出生主義について思いを巡らせてみてはどうだろうか?

 

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生誕の災厄

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