無観客試合

 いま、無人の競技場にボクサーが、ランナーが、バッターが、サラブレッドが、騎手が佇む。あなたには、彼らの曳く長い影が、はたして見えるだろうか。

 昭和五十一年六月

 沢木耕太郎

 

敗れざる者たち (文春文庫)

敗れざる者たち (文春文庫)

 

 

これは比喩である。しかし、比喩でない無観客競馬が行われた。令和の地方競馬で。そして、この週末には中央競馬で、行われる予定だ。

観客のいない競馬。ニュース番組の映像で大井競馬のレースが流れた。耳目社の実況はあった。客はいなかった。騎手は馬を駆り、馬は走り、勝敗は決まった。それを見ていた人間は、いないわけではない。現地の関係者は見ていた。ネット配信越しに見ていた人間も見ていた。しかし、だれも見ていなかった。

「なんだ、そんなこと」と競輪ファンは言うかもしれない。競輪は無観客のナイター開催をやっている。ただ、おれは競輪をよく知らぬ。よく知らぬから、第二次世界大戦中の無観客競馬以来という競馬に、少し動揺? したのだ。

今日の大井、メーンレースはクラシックトライアル。クラシックのトライアルだ。勝ったのはブラヴール。父はセレン、母はチャームアスリープ。おれが注目していたのはハタノヴァンクールを父に持つアンダーザスターは六着に敗れた。

南関叩き上げのセレンを父に持ち、南関牝馬三冠馬を母に持つブラヴールはどこまでやれるのか。また大外を回って差しきれるのか。おれにはわからない。いつまで無観客競馬が続くのか、おれにはわからない。おれが好きだったハタノヴァンクールの子がどこまで巻き返すのか、おれにはわからない。おれには、彼らの曳く長い影を見ることができない。