大崎善生編『傑作将棋アンソロジー 棋士という人生』を読む

 

棋士という人生: 傑作将棋アンソロジー (新潮文庫)
 

  将棋と並べてはいけないのかもしれないが、私も若い頃、ばくち一途で生きる気で、鉄火場をうろついていた時期がある。勝負だけで生きることの、めくるめくような陶酔、それを持続させるための苦渋、それらも少しは肌で知っているつもりである。

 もうあれは、個人能力だけが頼りで、野の獣のように自然で原則的な生き方でもあり、同時に世間の道徳など踏みこえた、ロマンチシズムの極のような、最高の生き方なのだ。

色川武大『男の花道』

将棋において、人間は機械に敗れた。しかし、将棋を見る人は増えているように思える。はっきりした数字は知らないが。将棋を指せなくても、棋士のエピソードが面白い。人物像が面白い。それがネットというメディアを経て広がっているように思える。

将棋は面白い。おれもまた、ろくに指せない「観る将」というやつなのだろうが、それでも棋譜をネットの盤面で再生さえて「ひえー」と思うこともある。あるいは、棋譜など見なくても、それについての語りに「ひえー」となることもある。将棋にまつわる話も面白い。

というわけで、「なんとなくネットで将棋の話題とか見るな。藤井聡太?」とか思ってる人はこの本を手にとってもらいたい。実に多種多様なものが集められており、結局は「芹澤博文かっこいい……!」ということになるからだ。

芹沢博文 - Wikipedia

芹澤博文の師匠である高柳敏夫による『愛弟子・芹澤博文の死』。それによると芹澤は弟弟子の中原誠が名人位についたことが挫折の原因だったと世間は言うけれどそれは違うという。年下の加藤一二三と十五歳、十一歳くらいで指したこと。そして負けたこと。さらにはものすごいスピードで加藤一二三が昇段していったことに挫折があったのではないかと指摘する。

そして、上に引用した色川武大の『男の花道』ではその芹澤の、「名人位かゼロか」になった、ゼロになったあとの博打と酒の話が存分に語られている。あと、囲碁藤沢秀行の話も。

「天才なんだ。すくなくとも、天才としてしか生きられない人なのさ」

いやはや。

ほかに、世間に知られている棋士の名前でいうと、桐谷広人について『そうではあるけれど、上を向いて』(中平邦彦)で語られている。無名のC級2組の棋士の話として出てくる。もちろん、そうであっても棋士というものは天才の中の天才だけがなれるものである。

  IQ140n桐谷は、県立竹原高校を二番で卒業した。その気なら一期校に入れたろうに、彼もまた沼と同じ苦難の道を選ぶ。彼の場合も屈折した事情があった。

 共産党員の父親が勤めを首になり、組合と政治活動に熱中していた。家計もひっ迫したが、若い桐谷は大学を出て会社に入ってもどうせ出世はできまいと考えた。それなら、思想に関係のない将棋界に入ろうと思った。才能ありとの自覚があった。プロになり、一流になるんだ。

その桐谷少年が、桐谷さんになるのだから、それも人生。それも棋士の人生。

で、ところでおれが今まで読んだ一番好きな将棋指しの文章がある。二十年以上前に読んだものだ。おれは、たしか先崎学によるものじゃないかと思うのだが、もっと古い本のような気もして確信は持てない。それは、四段になったか、あるいは奨励会三段だったかの著者が、東大の将棋部と指す話であった。将棋にすべてを賭けてきた自分が東大生に負けられないという、血涙の勝負である。おれはあれが好きだったな。でも、なんだ、片上大輔、さらには谷合廣紀なんて棋士が出てきてしまうあたり、将棋はすげえよな、ほんとに。

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血涙十番勝負 (中公文庫)

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続 血涙十番勝負 (P+D BOOKS)

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  • 作者:瞳, 山口
  • 発売日: 2017/11/07
  • メディア: 単行本