志村けんとおれ、おれと志村けん、あるいは「アイーン」の由来

 志村けん - Wikipedia

 

2020年3月29日午後11時10分、新型コロナウイルスによる肺炎のため、入院先の国立国際医療研究センター病院で死去した。70歳没。

志村けんとおれ、おれと志村けん。おれのこの日記で「志村けん」と検索すると、こんな文章が出てきた。

君は地震体験車に乗ったことがあるか? - 関内関外日記

そういえば昔、志村けんの番組で、「地震だじいさん」とかいうコーナーがあったっけ。

これは偽情報である。いま調べたら、「地震だ爺さん」は「風雲たけし城」のコーナーだった。

こんな記憶違いを起こしているかといって、おれが志村けんに影響を受けなかったということがあろうか。あるはずがない。

とはいえ、おれは「ドリフターズ志村けん」をリアルタイムで知っているというわけではない。おれがものごころついたころには、「ドリフ」はレギュラー番組ではなく、特別番組だった。もちろん、特別番組のドリフも好きだった。

しかし、おれにとっての志村けんといえば、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」ということになる。と、書いてからWikipediaなど読むに、「志村けんのだいじょうぶだぁ」と記憶がごっちゃになっていることに気づく。だからといって、おれが志村けんに影響を受けなかったということがあろうか。

小学生の時分、どれだけ「だいじょうぶだぁ」が流行ったことか。おれはあの三叉の太鼓がどれだけほしかったことか。デデッデ、デン。結局、あれのおもちゃをおれは買ってもらえたのだろうか。記憶にない。買ってもらったような気もするし、しなかったような気もする。そもそも、そんなグッズ、海賊版的なものも含めて、売っていたのかどうか思い出せない。

あるいは、「変なおじさん」がどれだけ流行ったことか。みんなで真似したものだ。たぶん。

一方で、おれは「アイーン」をよく知らない。よく知らない、とういと語弊があるが、おれが思い返すおれの子供のころの記憶に「アイーン」はない。

というか、「アイーン」についてこのブログに記述があった。

人志松本のすべらない話4 - 関内関外日記

 爆笑問題のインターネット検索を使った番組で、たぶんほっしゃん。が次のようなことを話していた。志村けんの「アイーン」の「アイーン」という擬音(?)は、バッファロー吾郎・木村が命名者であると。何か関西の番組で、いろいろなものに擬音をつけるというコーナーがあり、そこであの志村のアクションに「アイーン」を当てた。それがナインティナイン岡村隆史経由で志村本人に伝わったという。真偽は確かめようがないけれど。

この逆輸入的なエピソードが本当であれば、リアルタイム小学生のおれが「アイーン」を記憶していないのも当然であろう。おれのなかの志村けんは「アイーン」なんてしない。

……などというと、最近の志村けんは知らないのか、という話になる。正直言って、知らない。たまに千鳥の大悟がエピソードを披露するのを聞くくらいだった。おれのなかの志村けんの全盛期は「加トちゃんケンちゃん」あるいは「だいじょうぶだぁ」であって、あるいはPCエンジンのゲームなのである。

それでも、志村けんを過去の人と思うことはなかった。今現在、おれはあまり見ていないけれど、深夜かどこかでコント番組をやっているのだろう、レギュラー番組もあるのだろう、そんなふうに思っていた。志村けんは現役の芸人だ。志村けんは現役の芸人のままこの世を去った。おれにとっては、これは、そういうことである。

 

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「バカ殿」も楽しみにしていたっけ(何を楽しみにしていたかは語らない)。