出社組の憂鬱

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緊急事態宣言が発出(この言葉は今回の件で初めて聞いた)して以来、数人で構成される我が社のうちの数人が在宅勤務となった。おれはそこに含まれない数人であって、そこは通勤に電車を使用するかしないかであった。おれは気づけば長年乗ってるルイガノMV-1(『よつばと!』のあさぎさんと同じ自転車)で出社するので、自転車組である。自転車組のおれはべつに人混みを通るわけでもないし、また周辺に人が多いわけでもない町外れの会社に通うことになった。

それ自体は、べつにいいのである。前にも書いたが、おれは自宅にいること自体は嫌いじゃないが、自宅自体が好きかというとそうでもない。ずっと居たいと思える住環境を整備していない。おれはそれが大苦手である。そして、ぼろい座椅子に座って長時間パソコンに向かったりしていると、腰が痛くなる。机の上は汚いが(上の写真はおれの机ではないです。ただ、フルットのすばらしいぬいぐるみはおれの私物です)、会社にいるほうがまだマシ、なのだ。だから、おれが出社組であることに不服はない。他の出社組とはかなり仕切られて距離もあるし、濃厚接触にもあたらないくらいだ。おれはコロナ感染が怖いとは思わないし(昼のコンビニとたまのスーパーが怖いとなれば怖いのだろうが、おれは怖くない)、感染の可能性は低いと思っている。

ただ、毎日、出社して、留守番組をつとめなければいけない、ということに少々疲れた。「毎日出社するのは当たり前ではないか」といわれればそのとおりなのだが、おれは手帳持ちの双極性障害者なのである。おれはたまに動かなくなる。おれはたまに、急に遅刻したり、半休したりしてきた。ところが、今回の事態以来、そういかなくなってしまった。たぶん、一回だけ遅刻させてもらった。

とはいえ、会社にいるあいだ、ひっきりなしに電話がかかってくるとか、そんなことはない。むしろ逆だ。逆もいいところだ。社会の経済が完全にストップしてしまったみたいな静けさだ。それについていよいよ怖くなってきたところだが、まあそれは別の話だ。

ともかく、出社しなくてはならない、ということがえらくしんどく感じられるようになってきた、という話だ。そして、在宅組からのSlackでの通知にちょっといらいらするようになってきている。通話もぶっきらぼうというか、わりと嫌な感じの当たりになってきている。在宅組が仕事をしていないかといえば、もちろんちゃんと進行させていることは連絡でわかるのだが、それにしても、おれはいよいよ疲れてきた感じがある。はっきり言って仕事は激減しているし、作業も少なく、楽なのだけれど、それにしても疲れてきた。とはいえ、在宅勤務になれば楽になるという話でもなく、単に休みたい、働きたくない、仕事の激減を目の当たりにしたくないということであって(余計ひでえな)、まあともかく、通勤がしんどいと思うようになってきている。というか、おれは大昔の学生時代、自宅で予習、復習、宿題などがほとんどできない人間であって、在宅勤務がつとまるとも思えない。

まあしかし、こんなしんどさは一過性のものであって、通り過ぎた先にあるのは会社の倒産であって、おれの失業である。いまのおれの愚痴など贅沢にすぎない。おれはなんの資格もないし、これといった技能もない。精神障害者でおまけに病む前からやる気というものが存在しない。座右の銘は無為無作である。馬券も当たらないし、8枚切りの食パンを買うつもりが、うっかり6枚切りのパンを買ってしまうありさまである。6枚切りのパンだと、ホットサンドが作りにくいのだ。おれは深い悲しみのなかにある。おれには悲観しかなく、すっかり疲弊しきってしまっている。世界のすべてが悲しい。