大食い論―あるいはコロナ禍で大食いYouTuberだって困ってるんですよ!

おれは基本的にスポーツ観戦が好きである。

人がどれだけ短い距離を早く走れるのか。長い距離を走れるのか。どれだけ高く跳べるのか、どれだけ遠くまで跳べるのか。

どれだけ早く泳げるのか、というのもいいだろう。

あるいは、拳だけで殴り合ったり、蹴り合ったり、掴んだり投げたりして関節を極めたり、ともかく相手を倒すか、限られた範囲の外に押し出すのか見るのも好きである。

これが、氷の上を薄い刃のついた靴を履いて滑って飛んでその芸術性を競う、となるとちょっとよくわからないが、人間が競うのを見るというのは基本的に好きなのだ。

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人間に備わった「投げる」という特殊能力を磨き上げ、職人が丹精に削った木を唯一の相棒に、超人的な反射神経と鍛え抜かれた腕力で対峙(たいじ)する。単純にして精巧。相反する要素を持つスポーツに娯楽のDNAをくすぐられ、多くの人々が魅了されてきた。

まあ、このような面倒くさい競技を好むおれに氷上のアスリートをどうこう言う資格はないのだが。

いずれにせよ、人間のどこかに「速く走りたい」とか「相手を殴り倒したいとか」そういう心理があって、それと同時に「すごく速く走る人間を見たい」とか「ものすごく強い人間を見たい」とかいう気持ちがあるように思う。すべての人にあるとは言わないが、それなりに多い人間にそれがあるから、プロスポーツというものが現代においてもけっこうな巨大産業として存在しうるのだ。

で、おれは思うのである。人間が走るのを見るように、跳ぶのを見るように、殴り合うのを見るように、人間が大食いするのを見るのは当たり前の趣味ではないか? ということだ。多くの人はなにかの機会に走ったり殴ったり跳ねたり投げたりする……のかどうかは怪しいが、ほとんどの人間にとってものを食べるということは日常だ。むしろ、食べる、ということは必然に近い。「私は日常において走らない」という人よりも「私は日常において食べない」という人が少ないはずなのだ。

なので、おれはMAX鈴木のことを心配しているのである。

話が飛びすぎた。おれは今年に入ってくらいからだろうか、You Tubeを見るようになった。有名YouTuber? ノー。芸人YouTuber? ノー。ゲーム実況? ノー。大食いYouTuber? イエス

とはいえ、大食いならなんでもいいというわけでもない。MAX鈴木の大食い動画、これに尽きる。いろいろの大食いYouTuberがいるのは知っているが、MAX鈴木が一番すばらしい。だからおれは、寝る前などにMAX鈴木が米粒一つ残さず大量の料理を食べるのを見たりする。人間はものを食う。早く食う人間、多く食う人間、それはすごい。おれはそれを見たい。見たいから見る。

 

……この冗談みたいなおにぎりのサイズよな。

まあ、なんでもいいのだけれど、すばらしいよな。テーブルに落ちたキャベツ一切れすらきっちり食べる。大食いの見本やで。おれはMAX鈴木の大食い動画を「いいなぁ、すげえなぁ」と思いながら見ているのである。とはいえ、30分の動画を30分見るわけではない。食べ始めと、途中と、ラストとと早送りはする。それでも、満足なのである。「野菜から食べるのな」とか、「同じ食べ物はまとめて一気に食べるのな」とか、そういう発見もある。

が、コロナ禍はMAX鈴木をも襲った。飲食店は閉まっている。遠くに行くのもはばかれる。こういう状況になってしまった。

そこでMAX鈴木はどうしたのか。

家で食う、これである。

……やはり物足りない。大食いチャレンジに乗り込んで食べきる人間が、家でコンビニの麺類や冷凍チャーハンやカップ麺を食べたりしている。カロリー的には外食と変わらないのかもしれないが、やはりなんともいえずむなしいものがある。やはりプロ野球選手はスタジアムで全力を尽くすべきであり、いくら妙技を見せようとも練習の公開動画では満足させることはできない。そういうところがある。それでおれは満足できない、のだ。

もちろん、MAX鈴木本人が一番そう感じているに違いない。ときおり見せるやや疲れたおっさんの表情。しかし、それでも食うのがMAX鈴木だ。早くコロナ禍がおさまり、大食い早食いチャレンジメニューに東奔西走するMAXを見たい。おれはそう願ってならない。おれは本気でそう思っている。

 

 

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