Kitefletch『mettlesongs』を聴く

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  1. Carvanizer
  2. Phatecoid Infiletate
  3. Brightsweet
  4. Rallope Mulote
  5. Covellum Demisexuality
  6. Chicaw
  7. Nonsmoor
  8. Beardwork
  9. Stampcoat Dallian
  10. Crosscropping

2020という数字は新型コロナウイルスの世界的流行とともに人々に記憶されることであろう。また、おそらくは2020以降に変容してしまった世界のはじまりとして。そしてなお、ワクチンも開発されていない現在、新型コロナウイルスは誰にでも感染の可能性がある。王族や政治家から、芸能人、そして市井の人々まで無差別に理不尽に降りかかる。

だが、本当にそうだろうか? 厄災を前にして、やはりそこにはウイルスを前にして人々の社会的強弱が顕わになる。人の命が平等だといくら唱えてみても、そこには峻厳な差が存在する。先進国で最新の医療を受けられる人、貧しい国で、もとより様々な病気に晒されてきた人、ものを食べるのにも苦労する人、そこには非対称性が存在する。

そんななか発表されたKitefletchのニューアルバムが『mettlesongs』だ。Kitefletchはデビュー時から変わらぬスタイルを貫くことにより、逆接的に現代を照射してきたバンドである。当然のことながら、このアルバムもコロナ禍に右往左往する世界を鏡のように反射している。

とはいえ、そこに写る世界はすでにコロナ禍といったものを通り過ぎた、ポスト・コロナを指し示しているようでもある。あくまで彼らの内面より湧き出てきた音楽が先にあり、そこに時代が呼応するように。そして彼らが期せずして暴いてしまったのは、意思を持たぬウイルスを前にしても人間に非対称性が存在するという事実である。

が、その事実は果たしてペシミスティック一色に染められたものといえるだろうか? 私には私の属性があり、置かれた立場がある。あなたにも、彼らにも。それぞれに非対称性があって、はじめて物事に動きというものが生まれる。固定し、静止した世界の中に、彼らの音楽は響かない。

アルバムの幕開けである一曲目の「Carvanizer」には、率直に東洋の陰陽思想の影響を受けたかのよう歌詞に、静から動にうつる、世界生命の胎動がある。「うつる」……それはときに移り、写り、感染るものでもある。彼らはつねに世界を「うつす」依代のように世界の片隅から声を届ける。

彼らのスタイルの結晶とも言えるのが「Brightsweet」だ。サビのフレーズとポップなメロディーラインを聴けば、珍しく現実的な恋愛の歌とも受け取れる。しかし、不穏なイントロと、水面に浮かんで方向性を失うような長いアウトロはどうであろうか。生の喜びと死の普遍性を表しているかのようだ。

「Nonsmoor」は一風変わった楽曲だ。EDMを彼らなりに取り入れ、コーラスにはボーカロイドまで登場する。しかし、歌詞の半分はゲール語によって構成され、彼らの失われつつあるルーツを辿る魂の旅にもなっている。新しい技術と古への回帰、ここにも引き裂かれなければならない我々の非対称性が姿を表す。

そして、アルバムの掉尾を飾るのは、多国籍ダンスミュージックともいえる「Crosscropping」。多国籍か、無国籍か、50を超える楽器と20を超える言語で幻想的な高揚感を高める。高めたところで、突然のギターリフ。バビロンの塔を粉砕した神の一撃そのものである。そこに、楽曲を奏でる彼らと、われわれ、彼らの中の音楽とわれわれの中の音楽に一つの線を引くかのようだ。

ものごとは非対称性があって動きが生じる。固定は望まない。その散逸構造こそがわれわれの住む世界のはじまりであった。しかし、そのような巨視的世界をわれわれは行きているのだろうか。「Beardwork」に歌われるように、小さな洗面台の前で日々ひげを剃ること。自分の目を見つめること。そんな小さな世界の中にこそ、世界はうつっているのだ。