特高警察をしらない大学院生をこれっぽっちも笑えない

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gachagacha on Twitter: "この前、優等生タイプの若い修士の人と戦前の話をしている時、「沢山の学者や学生が特高に逮捕された」という話をしたら「それって悪いことをしたからですよね」と言われて本当に驚いた!"

熱海事件のことをいくらか知っている高卒のおれだが、理科と算数について小学校レベルの質問をされたら「太平洋戦争は富嶽による米国本土爆撃で日本が勝利したんですよね!」くらいの答えを出すので他人を笑えない。

2020/07/10 13:37

大学院の修士というえらい若者が、特高についてちょっとお粗末な返答をしたという話を見かけた。もちろん、その若者が正力松太郎などを尊敬する特高警察支持者である可能性もあるが、単に「ものを知らない」ということにしよう。

おれにその若者を笑う資格があるだろうか。……これっぽっちもない。

おれも特高を知らないからか? 平均的な日本人程度には知っているとは思う。ブックマークのコメントにも書いたが、熱海事件のことくらいは知っている。

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ひとりの男が死んだ。昭和四十年九月四日のことである。
 翌日、ごく内輪だけのささやかな葬式の手はずが整えられた。ところが、式の直前になって、予期せぬ事態が持ち上がった。役所が火葬許可証を出せないといいだしたのである。男の本籍地に問い合わせたところ、該当する戸籍が存在しないというのだ。

日本のエヴノ・アゼフこと飯塚盈延、すなわちスパイMである。M、愛すべき思想があって。そうだ、日本にもアゼフのような男がいたのだ。アゼフ、サヴィンコフ、……くそっ、何回時間を巻き戻してもプレーヴェが死んでしまう!

話が明後日の方向に飛んでいったが、熱海事件でなくてもいい。大杉栄のことは教科書にも載っているだろう。

松下竜一『久さん伝―あるアナキストの生涯』を読む - 関内関外日記

和田久太郎が大正史にわずかに名をとどめるのは、一九二四(大正十三)年九月一日に発生した陸軍大将福田雅太郎狙撃事件によってのみである。ズボ久は、この事件によって不本意にもテロリストとしての名を後世に遺すことになった。
 これをテロリズムというのなら、なんという間の抜けた未遂事件であったことか。だが、余人の行為ならとても信じ難いほどのその失敗も、あるいはズボ久ならやりかねないなと思わせてしまうところに彼の飄逸味がある。もちろん、久太郎にとってそれは命がけの狙撃であったのだが。

大杉栄の敵討に福田戒厳令司令を狙ったが、未遂に終わる。ちくしょう! というか和田久太郎の名前が教科書に載っていた覚えはない。

そして、遺された大杉の遺児についてはこの本が詳しい。

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……って、おれはべつに優雅で感傷的な日本のアナーキストについて語りたいわけじゃなかった。おれにはこのくらいの知識は一応ある、とういことだ。

だからといって、先の修士様のような人のことを笑えるのか? という話だ。おれには笑えないのである。それはブックマークのコメントに書いたとおりである。おれに小学校の算数の理科の問題を解かせてみろ。おれはきっと「特高に捕まった? 悪いことしたからですよね?」くらいの、あるいは、下手すればそれ以下の解答を書き込むだろう。

おれは算数の……鶴亀算がわからない。鶴亀算をもっと簡単に解けるようになる中学校で習う……なんとか方程式もわからない。二次、三次? 虚数? 複素数平面もロバチェフスキー空間もわからない。月の満ち欠けもわからないし、熱力学第二法則もわからない。せいぜい九九は諳んじることができる。それを日本史に置き換えれば……なんだろ? いい国作ろう鎌倉幕府? え、それもう古い?

まあ、そんなところだ。おれには理系の知識(文系、理系という分類はよろしくないにしても、おれには明確な線を感じて生きてきた)というものがない。理系の理解というものが存在しない。ボックス馬券や三連複と三連単のフォーメーションの「場合の数」は生きるために必須の知識だからあるていど暗算できるけれど、それが精一杯だ。xとかyとか出てきたら涙目で帰宅だ。角度を得たければAdobe Illustratorで実際に描画してそこから求めろ、という具合だ。

だから、なんというか、「国民にとって知らなくてはいけない歴史」というものがあるのかどうかというか、社会科、歴史が苦手ならわかんねえ場合もあるよな、と思うのである。日本国民として、この国の歴史、とくに負の歴史を知らずして、その富にただのりするのはけしからん、というのはまっとうな意見だろう。

しかし、おれのような学のない高卒からすると、人類が築いてきた科学について無知で、第二種永久機関にあっさり騙されるような意識しかないのに、科学が生み出す利便性にただのりするのはけしからん、と言われてしまうと、返す言葉がない。

これはたまたま、文系に向いていた、理系に向いていた(だからその分類は有効なのか?)、という話にもならないか。歴史を知ってるのがえらいのか、科学を知ってるのがえらいのか、どうなんだ?

……って、「義務教育程度なら両方知っていて当たり前だ!」というのが正論だろう。はい正論、それが正論、今はスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ。

というわけで、くれぐれも文理、分離せず、あまり誤っていない、偏っていない知識を身に着けたゼネラリストとして生きていきましょう。以上。