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まさかとは思いますが、あなたの読んでいるバブルというのは……林公一『サイコバブル社会』を読む

病気 読書 感想文

 

サイコバブル社会 ―膨張し融解する心の病― (tanQブックス)

サイコバブル社会 ―膨張し融解する心の病― (tanQブックス)

 

まさかとは思いますが、この「弟」とは、あなたの想像上の存在に過ぎないのではないでしょうか。」で有名な林公一先生の本である。『サイコバブル社会 膨張し融解する心の病』。冒頭の一文からすごい切れ味だ。

 うつ病は、明るい病気になった。

 どういう意味か。症状のことではない。うつ病という病気が社会的に認知され、誰にも打ち明けられないような後ろめたい病気ではなくなりつつあるということだ。かつての暗く、孤独で、偏見を向けられるものから、正しい理解が広まりつつある。そういうことだ。

ただ、副題にあるように、それが指し示す範囲が膨張している、正常な心の反応ですら病名をつけ、薬が処方されているのではないか、という話になる。これも林先生の有名な一刀両断の例が載っている。二年間付き合った彼女に別れを告げられ、なにもやる気がおきなくなり、飯も食えず、彼女を殺してやりたいという衝動を抑え……という相談に対する答えである。ネットでも読める。

【1473】彼女に突然別れを告げられ、つらくてたまりません

「これは失恋です。失恋を医師に相談するのは間違っています。自分で解決してください。」p.44

すなわち、林先生は「うつ病」という概念が膨れ上がり、上のような「失恋です」事例などを、むやみやたらに医師が取り扱うのには反対派、というわけである。

……本来のうつ病ではないがうつ病と呼ばれたりしているもの、私はこれを擬態うつ病と呼んでいるが、呼び名はともかく、このままではまずいと考えているのは私だけでなく、精神医の中でも大議論になっている。最近の学会でも「うつ病概念の広がりをどう考えるか」がテーマになっていたりする。

 大議論になっているということは、必ずしも反対論だけではないということである。

 とうより、賛成論もかなりある。

 私は、反対派である。ここは旗幟鮮明にしておく。

 p.41-42

 うつ病が「明るく」なったことで、多くの人が受診し、治癒するようになれば、そのメリットの方が大きい、というのが「うつ病概念拡大賛成派」。そのように拡大を続け、概念を曖昧にしていけば、そのバブルが弾けて収拾がつかなくなるぞ、というのが林先生の「反対派」というわけだ。

精神科やカウンセラーやメンタルクリニックの大量供給が、今、起こっている。バブルのように膨れている。スローパニックが去って、やっぱりそんなにはいらなかったということになったらどうなるのか。マスク(引用者注:インフルエンザ用に人々が殺到したもの)ならいつか使える。ワクチンだと廃棄処分するしかない。クリニックは? 廃棄処分? 無理だ。いったん創出した雇用はそう簡単に消せない。すると病気でないものを病気として治療することで営業していくのか? ……この予測はかなり実現度が高い、と同業者の私は小声で言う。p.35

と、こういうわけだ。たとえば先の失恋の彼とて、医者に行き、抗不安剤でも処方されれば楽になる。あるいは、睡眠時間を健全にするために、睡眠導入剤を処方されたら心身の健康を取り戻すかもしれない。失恋は直せないが、脳なんてものはわりと簡単にハックできる。病名なんてあとからついてくる。

そして、これはおれの抱えている疑問であり、問題でもある。おれは精神の病なのか?

goldhead.hatenablog.com

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ただ、元力士かなにかに金属バットで足のすねを殴打されて痛くなったらどうだろう。もちろん医者に行くだろう。ただ、これは原因と結果がはっきりしている。正常だ。

そういう意味で、おれは正常だ。

精神病院通いのおれの精神は正常だ。

おれの不安がとまらないのは、動悸がおさまらないのは、夜に眠れないのは正常だ。

なぜならばおれは客観的に見て不安にならずにはいられない環境にあるからだ。日々の生活に汲々し、貧困に怯え、なんの蓄えもなく、将来の展望もない。欲しいものもなくなってしまったし、なりたい自分なんていうものはもとからない。ただ、生きていくなら安心がほしい。平穏がほしい。社会の片隅でひっそりと息を潜めて生きていられればいい。しかしそうはいかない。おれは元力士かなにかに金属バットでぶん殴られている。痛いのは当たり前だ。

おれが精神的に壊れてしまったのは、生活の貧しさ、将来の展望のなさ、自分の生活力のなさ、そこからくる不安。これに尽きるといっていい。医師にも言われている「宝くじがあたれば治っちゃうんですよ」。おれは「金がない」病であって、そんなものは精神医学の領域だろうか? 大金持ち(例えば岡村隆史)が「金がない!」とパニックになったらその領域だろう。だが、おれに金がないのは現実だ。おれが金を稼ぐにあたって無能者であることも現実だ。

それでもおれは身体が動かなくなって精神科に行き、一年くらいレスリンなどを処方され、一年後くらいに「双極性障害じゃないか」と言われてオランザピンを処方された。これはよく効いた。おれが双極性障害(2型)だからオランザピンが効いたのか、オランザピンが効いたから双極性障害(2型)なのか。おれのなかで整理がついていない。

ただ、おれは心の病のバブルのおかげで、心の病がいくらか「明るい病気」になったおかげで、傷口に絆創膏を貼ってくれることになった。「いたいのいたいのとんでけー」と気を紛らわせてくれることになった。おれは病気なのか、病気でないのか、そんなことはどうでもいいと思う。……一方で、おれは病気ではないのではないか、という思いもある。病気に対するレッテルを剥がしたいという意味ではない。むしろ、病気を楯に「ズル」していてたとすれば、それは不誠実に思えてならないからだ。しかし、それでもおれは薬でいっときの不安を消し去る。アロチノロール塩酸塩で動悸をコントロールする。アモバンでも睡眠を制御する。

これが風邪だったらいいのだろう。鼻水を止める薬を飲み、喉の痛みをやわらげる薬を飲み、気づいたら治癒していた。そんな話もある。だが、おれの風邪は貧困という風邪だ。おれの生活者としての無能という風邪だ。おれの向上心のなさ、やる気のなさという風邪だ。それはもう風邪じゃあない。今のところはそういうことだ。やがて脳に一発薬剤注入して、模範的なやる気のある労働者になれるかもしれないが、そんな時代はとりあえずこないみたいだ。脳に光をどうこうしてうつ病がわかるかわからないか、というていどの時代のはずだ。

林先生の本の話から離れてしまった。いや、しかし、この本のテーマはそういうことだ。単なる「ネットに寄せられた疑問と、それに対する切れ味するどい回答集」なんてものじゃあない。そして、最後の最後に明かされる「バブル」の意味。この仕掛にも唸らされた。自分が病気だと診断されている人、診断されても病気じゃないかもしれないと思っているひと、病気かもしれないと思いつつ病院にはまだ行ってない人、いろいろの人が読むべきである。そのように思う。以上。