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マック赤坂は何に怒っているのか? 映画『立候補』を観る

 

映画「立候補」 [DVD]

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映画「立候補」

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いつか観よう観ようと思っていて、「べつに『選挙』とか観たからいいか」と思ったりしていて、ようやく観た。2011年大阪府知事戦をめぐる「泡沫」候補たちの戦いであったり、戦いでなかったりのドキュメンタリである。主役はマック赤坂といっていい。

とこで、おれはいわゆる泡沫候補についてどう思っているのか。

d.hatena.ne.jp

正直、私は早朝のハイも手伝って、内臓がねじれるくらい笑いそうになりもしました。しかし、私は彼らをあざ笑うわけではありません。皆口をそろえて都民の声を聞きたいという。しがらみのない政治をしたいという。普通の人の政治をしたいという。その思いは共通していることでしょう。我々の多くが日頃感じていることでしょう。もしも私やあなたがあの場に引き出されたら、やっぱり目安箱的なことを言うくらいしかないかもしれません。彼らは、圧倒的に間違っているかもしれない。けれども、そこには‘かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂の精神’がある。俺はそう思う。分別の世界で否定され、否定しきれないものがある(人もいる)。そういうワンランク上のおっさんの中から選ばれる、さらにハイグレードなおっさんは、そこらあたりの何ものかをぜひ汲んでもらいたい。そう思う次第であります。

そう、泡沫と呼ばれる候補、そのなかで有名になった人たちについて、おれは好感を抱いているといっていい。あるいは、こんなふうにも考えている。

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でさ、それに俺思うんだけどさ、「おとなしく受け身で自分で切り開くタイプではなく」ってさ、そういう奴も政治家に居ていいんじゃねえのって。農業の代表います、女性の代表います、障害者の代表います、スポーツマンの代表います、芸能界の代表います、同性愛者の代表います、いろんな代表(自称)が国会にいますけれども、やっぱり、みなもう、学級委員とかいったら手ぇあげて立候補しちゃうような奴らじゃん。こう、後ろ向きで人間嫌いのやつの代表ってのはいねえんじゃねえのって。口べた、人見知り、内向的。月曜の夜の伊集院光のラジオ聞いて喜んでるようなやつ。そういうやつ、スクールカーストの下の方にいて、なに? 非コミュ? とかそういうの? そういう奴はさ、日本には、いや、世界には少なからずいるわけでさ、そういうのの代表もさ、なんか政治家になれよって。

 こうなるともう、なかなかこの映画に採り上げられるような泡沫候補マック赤坂であり、外山恒一であり、羽柴秀吉などからは遠ざかる。遠ざかるが、結局のところもう日本の選挙、政治なんてのは形骸化していて、二世、三世、四世が議席を引き継ぐか、あるいはタレント候補が知名度で勝つだけだろ、と思っている。

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こうなったら、「5.革命を起こす。」が正解じゃないかと思うくらいの話である。一人一殺。

まあそれは置いといて、マック赤坂である。政見放送は見事なものであって、腹筋が痛くなる。とはいえ、ここにはシリアスなマックがいる。演説の合間に紙パックの「鬼ごろし」を飲むマックがいる。酒でも入っていなければ、あのテンションは保てないのか。一方で、自分の政見放送を観て「外山恒一に勝ったなんじゃないか」とか「自分で観て面白い」などという客観的な視点もある。

客観性と言えば、マスメディアがいわゆる「泡沫」候補を「主な」候補者と同等に扱わないということに対する怒りがある。これはまっとうなものだと思う。「同じ供託金300万円払っているんだ」というのには説得力がある。とはいえ、そんな主張も裁判で負けて、ますます既存政党のための政治は続く。

もちろん、音楽を流し、変な格好で踊り、政策の中身が見えないマックってなんなん? という問いは当然だろう。とはいえ、マックは一人(と一人の秘書を連れて)立ち上がったのだ。政治を、日本を変えようと思って立ち上がったのだ。そのことを馬鹿にする世の中は唾棄すべきだ。おれはもとからそのように思っているし、この映画を観たあとにも思っている。最後にはマックの、決してマックの選挙方針に賛成していな居息子が、日の丸を掲げる自民党支持者たちから「売国奴!」の合唱をくらいながらも、それに言い返す、あの力がある。おれはあの力の方を信じたい。日の丸をたくさん掲げて、少数のものを売国奴と罵るおおぜいにはなりたくないと思う。

それにしても、マック赤坂は怒っていた。その怒りの根源はどこにあるのか、それを知りたくもなった。単に、日本政治の、選挙制度のあり方に対して怒っているようにも思えない。もっとプリミティヴな、かれの内心から出てくる怒りのように見える。その怒りは、残念ながら他人と共有できるものではないかもしれない。しかし、何回も、何回も出馬しては落選を重ねるのは、容易なことではない。一回なら金持ちの道楽かもしれないが、何度もやるのは本気だ、とはだれの言葉だったか。

とはいえ、選挙制度、とくに供託金の問題は、人々を「立候補」という手段から遠ざけている。たとえば、おれは自分の小銭をかき集めようとも供託金を出せないから立候補の権利がない。おれは政治なんてものはやりたくないが、やりたいやつがおれ程度のレベルの生活を送っていたら、そこで立候補の権利は存在しない。それでいいのだろうか。はてななどは高収入の人間が多いから「たかが300万円」と思うかもしれないが、貧乏人には違う。出したら無一文どころか、300万円の蓄えがない。これでも公平な選挙制度といえるのだろうか。そして、既存の大政党のバックなしには泡沫としてろくに報道もされない。それでいいのだろうか。

既存政党支持者で、おれのような人生の負け犬を蔑む人にとっては、おれがなにを言ってるかわかりはしまい。だからといって、おれは立候補もできないし、立候補できる金ができたら、生活費に回すだけのことだろう。やはり「5.革命を起こす。」が正解なんじゃあないだろうか? あんたはどう思う?

 

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