琳派 RIMPA 展メモ

 いわゆる琳派と分類される作品を、クリムトマティスまで巻き込んで再構築しようという、意欲に溢れてまっせって感じの展覧会。あいにく日曜日は天気がぐずついていたが、客の数は多かった。人の多い美術館はあまり好きじゃない。気になったことなどをメモする。

  • 芸術かデザインか

 専門家ではないので上手く言葉にできないけれど、グラフィック・デザインやその他のデザインと呼ばれるものと、芸術作品は別のものだ。どちらが上だとか奥が深いとかではなく、別のジャンルのもの。ただし、お互いの越境、装飾芸術だとか芸術的デザインがあり、なおかつ、そういった越境者は往々にして面白いのかもしれない。で、その区分けはどこか。美学を勉強しなきゃわからない。美とは目的なき合目的性。ただ、自分の中で、ステキなデザインを見ているときと、ステキな芸術作品を見ているとき、それぞれ脳の別の部分が刺激されているような気になる。そういう意味で、この展覧会は前者の刺激が多かったように思う。誰か脳波を測ってくれ。

  • これは作り手の意図した色か

 多くの芸術作品は、時代の経過と共に劣化する。それに対して、科学と技術を用いて保存や保全や修復が行われる。では、今回目にした屏風の、たとえば地の金は最初からこのくらいの色だったのだろうか。あるいは、色あせてこうなったのだろうか。中には、時代を経て色が朽ちてきたあたりに魅力が増すものだってあるかもしれない。しかし、新たな材料で作り直したものの方が良い物もあるだろう。
 古い作品に接すると、カート・ヴォネガットの『青ひげ』を思い出す。この小説の主人公である芸術家ラボー・カラベキアンは、カンバスを青一色に塗った作品で有名になるが、質の悪い絵の具を用いたため、ある日突然それらの作品が剥落してしまう。なんか繋がりに欠けた。

 今回見た中で一番スゲエと思った作品。落ち葉のつもる森を描いたものだけれど、その緻密さが半端じゃない。"God is in the details!" 未だ枝に残る枯葉も、静止している小鳥も、ビタッと来てる。落ち葉も画面奥から手前に向けてだんだんと緻密に書き込まれいる。その一方で、大きな木の幹はまるで解像度の違う画像のように、しかしながらリアルな存在感を持ってそこある。その対比が生み出す違和感がステキだった。同じ作者の絵巻が常設展の方にあったけれど、こちらも漫画的でカワイイデフォルメもありながら、やはり描き込まれた山河の絵だったと思う。あと、この人が現代に来たら、Adobe Illustratorなんかを気に入るかもしれないな、と思った。

 黒地に金で描かれた生命力溢れる夏草の姿。これはもうこのままアロハ・シャツに仕立ててくれ、という代物(自分の中で最高の誉め言葉の一つ)。

 鶴の群が飛翔し、降り立つまでの姿がコマ送り的に描かれ、その上に和歌という絵巻物。やたら長かった。これとか、加山又造の「千羽鶴」を見るに、コマーシャル・フィルムなんかで日本画の中の鳥や動物を動かすやつがあるけど、ああいうのはまったく理に適ったもんだと思うな。

 漆黒の馬に黄金の鎧をまとった騎士が描かれている。鶴首で気合い乗りの良い馬と、直立する騎士の姿が実に力強い。これは良い芸術作品だ。そして、足元にぽつんぽつんと咲く花が実にキュートいい。持って帰るから、これを包んでくれないか、と言いたくなった。

  • 常設展いろいろ

 琳派展だけで頭も足も疲れたが、貧乏性なので足早に見て回った。やはり岸田劉生の麗子像は恐ろしいなとか、麻生三郎の絵を家に飾って暮らしたらどんなだろうとか、原田直次郎の「騎龍観音」は好きじゃないなとか、そんな感じ。あと、この美術館は床がステキだ。ただ、トイレは利用者数が多いためか、住みたいと思えるほどキレイなじゃなかった。

  • お客さんいろいろ

 一人で琳派展に来てる眼鏡かけたアート娘は、ナンパしたら簡単にやれるんじゃないかと思った。いや、ナンパなんかしたことの無い者の歪んだ妄想です。酷い。あと、作品の目の前で愛知に引っ越した姉のリュウマチの具合について長々と喋るおばさんはどうにかならないものだろうか。リュウマチにはサメの軟骨がいいらしいです。