毎日王冠と京都大賞典の週

 この週は特別だ。秋か、それとも何かの訪れを告げる週だ。この二つの重賞は、とても愛おしい。だが、しかし、今週は馬券を買う余裕がなさそうだ。spat4の方へ公的資金が導入されたからだ。だから、こうしてできるだけ情報を遮断している。脳内レースが発走し、ゴールしてしまうと、自分の予想を買わないのを買うということになるからだ。買えば良かった、というのは馬券で負けるのと同義だ。
 しかし、だ。何となくどこかから金をかき集めて買ってしまうような気もする。‘勝ったからといって掛け金を増やすな、負けたからといって掛け金を下げるな’というような事はよくいわれる。余裕のないときに馬券を買っても、だいたい負けてしまう。それでもなんだろう、参加したいのだ。
 馬券へのスタンスは人それぞれだ。「競馬で儲からないでしょ?」と言われると、自分はこう答える。「野球観戦やサッカー観戦だって儲からない。チケット代だけお金が減り、そのぶん楽しみを得ている。競馬だってそれと一緒だ。ただ、たまにチケット代が還ってくるんだ」と。模範解答というか、負け犬の発想だ。本心とも違うような気もする。ただ、大勝負して破滅するような気はさらさらない。できるだけ長く競馬を観ること。細々とでいいから参加し続けること。
 年寄りの競馬ファンに競馬を語らせると長い。独自の必勝法、勝った思い出、負けた思い出、馬のこと、騎手のこと……。その歳まで競馬を続けられたのは、それだけ競馬と付き合いたかった人間だ。この間死んだ祖父も、晩年まで競馬を続けた。あまり競馬の話ができなかったのを、今、少し残念に思う。